花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (66)

民主主義の耐性

夏も盛りの今でも、通勤の駅までの道は徒歩にしている。
いち早く木陰を探して飛び込む習性はかなりついたのではないかと思う。

木陰の存在にありがたみを感じながら、しかし思うことは、
その木陰の存在のことだ。一朝一夕でなったものではない。
常葉樹でも落葉樹でも、極端に暑い時期・寒い時期を乗り越える。

人が涼や暖を求めて自宅に戻ることはあっても、木々は動かない。動けない。
厚く硬く纏う樹皮は、その瑞々しさを守るため、
深く細かく地に這う根は、風雪に挫けることなく
広く・高く天に広がる葉は、僅かな陽光も漏らさぬよう、
木々は静かに佇(たたず)まいを守っている。

議会制民主主義、いや日本国憲法にも木々のような「深み」と「強み」が必要だと思う。
先日、鈴木安蔵という底流に触れ、今日8月15日北京の体育館で「君が代」が流れた。
見上げる木々に、神々(こうごう)しさすら覚えた。


第六十三条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると
      有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため
      議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を
      求められたときは、出席しなければならない。
第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の
      議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
    2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。