花鳥風月記

流れる水に文字を書く

今橋映子 『フォト・リテラシー』

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中公新書。読売資本に振り回されない、久々にまともな中公新書

メディアの中で常に進化を遂げて行く過程で、特にここ百年の間に生まれ、
数十年の間に大きな力を得てきた「写真」というものについて、
一般的な常識を覆しつつも、深く考察を誘(いざな)うようにしている。

メディア・リテラシー」という言葉と一線を画そうとしているのは、
写真が持つ芸術性も含め、独自で多用な考察を深める方向を模索するため。

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市民が写真メディア(特に現実を報道する役割を担う写真)を、芸術史的および社会的文脈
の双方でクリティカルに分析し、評価できる力、延いてはその知識と倫理をもって、一方
歴史認識を精錬し、他方で現在における多用なコミュニケーションを創り出す力を指す。
(本書8ページ)
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マグナム・フォトの成立する背景。グラフ誌の分業体制と写真家の地位。
有名な写真集に秘められた一般的解釈の誤解など、様々な問題を簡潔に語っている。
と同時に写真を語る上での様々な人物の「論」を前提にしているので、
己の勉強不足にも気づかされる。

最終章の第九章「ニヒリズムを遠く離れて」は、写真と倫理という困難な問題に
触れている。勿論明快な解答はないにしても、最後にこう締めている。

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「不可能だが不可欠」―写真は歴史認識に対してそのように関わることができる。ただし
それは、途方のない知的労力を注入すべき「考古学」になることだろう。「それでもなお」
私たちは、表象不可能というニヒリズムや知的怠慢に陥らず、歴史に応答すべきである。
なぜならそれは、それが事実であると確認された以上、写真の向こうの死者たちからの
呼びかけだからであり、その時、写真家は観者の代理人(エージェント)でなく、
被写体の代理人だからである。
(本書221ページ)
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この部分は大事だと思う。そして文中の「それでもなお」はきっと
マックス・ウェーバーの『職業としての政治』に出てくる
「デンノッホ!」(岩波文庫版106ページ)をイメージしているのではないかと思った。
その本には、天職(べルーフ)とある。