花鳥風月記

流れる水に文字を書く

春夏秋冬

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確か高校時代に知って書き置いた張り紙がある。
20代から50代までの呼び方で、
青春・朱夏・白秋・玄冬と書く。

粗末な藁半紙に書いたため、ほぼ茶色になっている。
そう、青春は20代までだったことになる。
森田公一とトップギャランの「青春時代が~夢な~んて~」は
後からほのぼのというよりか、単なる思い込み程度でしかなかったかもしれない。

ただ、「朱夏」という言葉は好きだった。
何となく熱い陽射しの中を歩いて行くようで、
そして何かに迷ったり・彷徨ったりといった感じで。
それなりにフラフラしたが、転石に苔は生じないことも良く分かった。

さて、来月の半ばで、この朱夏ともお別れになる。
10の位の進数は、その度にいろいろ思うところもあったが、
今回は単なる時間の継続と、「終わらない宿題」が気にかかる程度で、
あまり前向きにはなれない。

そんな時、泉谷しげるの「春夏秋冬」の唄が思い浮かぶ。
 春を眺める余裕もなく
 夏を乗り切る力もなく
 秋の枯れ葉に身を包み
 冬に骨身をさらけだす

思い出す度に「深いなあ」と感じる。
その後の歌詞は、まあ、希望も感じさせる。

まあ、ぼちぼち明日もガンバロか…。