花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (83)

ゼロサムと幸福度

最近、経済観念が変わってきたなあ、と思うことが一つある。

それは半額商品を見る眼。

かつては、お弁当、特にお寿司が半額だと、
おカネが半分で済む、という嬉しさよりも、
同じ金額で2つ食べられる方が嬉しかった。(特にお寿司)
握りの980円が半額であれば、同じ金額を払うなら、
もっと沢山食べたい(そして充分食べきれる量だった)という気持ちが、勝つ。

まあ、のり弁やシャケ弁を2個、というのはさすがになかったが、
それでも、中華丼と五目焼きそばを一緒に買ったりした。
スーパーの惣菜なので、乗っかっている中華餡は、同じものかと思ったが、
実は、微妙に味付けが違っている。
「違いがわかる男」であるが、それを言っても一顧だにされないだろう。

量で満たされる食事をすれば、やはり体重も増える。
100キロを超えた理由も、分からなくはない。

最近は、不景気とダイエットもあり、金額で動くようになった。
一食にかける金額を、いろいろなものと等価交換してみる。
バス賃の節約を考える。行きは200円、帰りは深夜バスだと400円。
ああ、一食分だ、と思いながら、駅まではなるべく歩くようにした。
節約とダイエットの効果はテキメンだった。

しかし、ダイエットを意識して食事を取ると、かえって高くつくこともある。
コンビニの食材は、カロリー表示がしてあるので、
「レコーディング」まではいかないにしても、1,000キロカロリーを目安にする。
その中での「買い物ゲーム」という楽しみがある。
そうすると、1,000円を超えることが多々ある。

こう考えてみると、「高いのか・安いのか」「多いのか・少ないのか」
「身体にいいのか・悪いのか」の3箇所を行き来しているような気にもなる。
ある種、行動自体に「ゼロサム」的な印象を受けなくはないが、
たった一つ、欠けている視点がある。

それは「美味いのか・不味いのか」。
これこそが、果てしなく続くどうどうめぐりを止める手段ではないかと思う。
美味しさから得られる満足。―経済学的には「効用―消費から得られる満足」
が充実していると、人間性も豊かになれるような気がする。
勿論、美味しさには、値段や量だけに拘束されない。

翻って税金のことを考えると、「取られる」意識が強いが、
結局は国のサービスが向上されれば、
そこに住む人間の満足度が向上するはず。
これもいわば「ゼロサム」なのだが、そうはならない。

いうまでもなく、料理人が下手で、
信用されてないからだと思う。


第八十四条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、
      法律又は法律の定める条件によることを必要とする。