花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(146) ザギンでシースー

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街には、それぞれの「棲み分け」がある。
それは銀座であっても同じことが言える、というより言えた。
銀座には高級料理店、特に寿司屋が多いと「聞く」。
「聞く」というのは、行った事がないから。
ただ、楽しみ方はあった。

ずっと前には、地下鉄銀座駅のコンコースに
立ち食い寿司屋(実際には座れたが)があった。
マリオンや阪急の交差点に近いところ。
そこでは、一人前のにぎりが500円程度で食べられた。
ある夏の日曜日、ふらふらと歩行者天国を歩くと、
ビールのサンプル(丁度「ドライ戦争」の頃、古い!)を
各社とも配っていた。タダ酒をあおりながら、その寿司屋に行き、
なんともお得な一日を過ごしたなあ、と悦に浸ったことがあった。

実はJR新橋駅にも、同じようなタイプの店があり、
そこは立ち食いそばと一緒で、まさに「立ち食い」だった。
値段は安いが、そばでもの足りないサラリーマンが
ちょっと奮発して、という感じでもあった。

いつしか、銀座の店は回転すしになり、新橋のそれは立ち食いそばだけになった。
にぎる人のコストを考えると、機械に負け、また人件費がかさんでしまったのだろうか。
銀座で回転すしは、注文服の街で既製服を売るような違和感を感じるが、
それでもお客は結構来ているのだろう。

現代は、「棲み分け」というある種の優しさが減り、
「二極分化」してしまったような気がする。
それが「格差社会」というものなのかもしれない。