花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(151) 白について

先日、マイケル・ジャクソンが亡くなった。50歳。
丁度、洋楽を聴くようになる年代に「スリラー」がヒットした。
MTVが流行り出した頃、このゾンビのダンスは一躍世界を席巻した。
ちなみに、訃報を聞いたとき、スリラーのゾンビとなって復活、
というネタかと思った。

意外にも早い死は、誰にとってもショックであるに違いない。
ただ、今となっては「晩年」という表現になるが、
テレビで彼の姿を見るたびに、自分を一生懸命「壊している」ような印象を受けた。

奇行・愚行の類はあまり関心がない。
ただ、唯一、彼が求めていただろう容姿は、
あまりにも「人間」として哀しい気持ちに思えた。
富や名声を得ながらも、その最後の「一線」は
越える事も・越えようと思うことも愚かしいことだと思っている。

ただ、後天的に刷り込まれた感情は、いつしか先天的な「運命」と
思うようになるのは仕方ない。
息をのむような「美しさ」も、人間の持つ「偏見」とは無関係でいられない。

「何もない」という意味でもあるが、
それは「何かある(何色かある)」という宿命を
突き放すような、心寒いものでもある。