花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想 番外編 長崎2日目その2

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浦上から、路面電車に乗り、出島へと行く。
少し時間があったので、船着場やデッキを歩く。
大きな錨があった。

軍艦島クルーズに、ツアー客もいた。
ただ、高齢の方もいて、その方々は上陸せず、船内待機の様子。
島には水道・トイレ・自販機がない、とのことで、
とりあえず昼食は食べずに船に乗り込む。
2階デッキに陣取る。

出航してから後悔したのが、左側に座ったことだった。
流れるアナウンスはことごとく「右側をご覧下さい」であった。
※おまけに帰りは逆と思い、左側を選んだら、島を回りこんで帰港。
軍艦島クルーズは「常に右」を常識にしておこう。

一日中、カンカン照りの日だった。
2階デッキは、屋根が深かったので、潮風とたまの波しぶきが、心地よかった。
長崎港は山の斜面を這うように家が建ち並び、
港のほとんどに三菱のマークがあった。
また、軍港の名残か、イージス艦の補修工事もしていた。
大きな船を尻目にやや小さめのクルーズ船は、どんどんと進む。

やがて軍艦島の威容が見えてきた。
ドルフィン桟橋から下船。二手に分かれて島内観光をする。
観光といっても、3つの広場から、廃屋となった様々な施設をながめ、
ガイドの方の話を聞くのみだった。

軍艦島(正式には「端島・はしま」)は、石炭採掘のために、
もとの小島(岩礁?)から埋め立て、人造された島で、
往時には5,000人もの住民がいた。
やがて石炭の需要がなくなり、住民がいなくなり廃墟の島と化した。

ただ、その姿が、高度経済成長の時代を映し出すこともあり、
世間の注目を浴びることとなった。
確かにコンクリートによって作られた様々な造形は、
人間がかつて作り、そして過(あやま)った産業社会への
アンチテーゼとも受け止められる。
石炭採掘によってうまれたかす(ボタ)を集合住宅の2階のコンベアから
海洋投棄していたという、今では信じがたいこともやっていたようだ。
また、ガイドさんの手には、当時の写真もあり、島の中にパチンコなどの
娯楽施設や、プールまであったとのこと。

住宅については、30号住宅が日本では最古の高層住宅らしい。
また、この島の生命線は、石炭を送り出すコンベア、とのことで、
台風の通り道に面するエリアに集合住宅が置かれた、とのこと。
つくづく産業のために作られた島だなあ、と感じた。
当時もひどい時にはひと月近く船が近づけないこともあったようである。

現在も、天候によって上陸できないツアーがあるらしく、
7・8月は何度かあったようである。
9月はそれまで全て上陸できた、とのことで、
今回は本当に天候に恵まれた、と思った。

いわゆる「昭和」の時代を感じるには、非常に勉強になったと思う。
願わくば、もう少し奥まで見てみたい、という気持ちもあった。

軍艦島を後にする時、船で一周する。
名前に由来する軍艦「土佐」に似た角度も見ることが出来た。
午後のクルーズだったので、傾きがちの陽射しに影をくっきりとさせた
軍艦島が印象的だった。