花鳥風月記

流れる水に文字を書く

原研哉 『ポスターを盗んでください+3』

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1995年ごろに刊行されたものに、最近の3編を付け加えて今年9月に再刊行。
『デザインのデザイン』や『白』で著名な筆者の「駆け出し?」期、約50編の
エッセイが綴られている。

以前『デザインのデザイン』を中途半端に読んでしまったが、
今回の本を読んで、改めて読み直したい、と思った。
デザイナーでありながら、文章も上手い、というか面白い。
非常に示唆に富む。順番的にも、こっちを読んでからの方が良い。

筆者と10歳ほど年齢は違うが、当時のことが思い出された。
特に「街角の音に襲われる」は、渋谷でヴァイオリン演奏を聴いたそうだが、
自分は新宿で聴いた。アンデスの音楽は新宿や川崎、胡弓に至っては、
銀座と札幌で聴いた。それも1週間程度しか時間の差がないタイミングで。

その頃の新宿は、コンコース沿いにホームレスのハウスが林立していた。
特有の臭気も漂っていたが、不思議と嫌悪感はなかった。
むしろ、その後「動く歩道」や、ハウスよけの良く分からない「円柱」を
置かれた時に、ある種の「やるせなさ」を感じた。
街を「キレイ」にするってどういうことなのか?
それは未だ解決の糸口が分からない。
そんな文脈とは違うかもしれないが、本書では
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さらに言えば、デザイナーは、自分たちの活動の背景にある思索や感受性について、
もっと語ったほうがいいと思っている。デザインとは、人が生きて環境をなす、その
営みのひとつひとつを計画し練り上げていく知恵である。それは経済でもなく、政治
でもないが、金融経済や文化の摩擦できしみ始めた今日の世界に、これから必要と
されるはずの合理性と感受性を扱う領域である。資源や環境、イメージと消費、
都市や空間、情報やコミュニケーションなど、人の活動の多様さのなかに、軋轢
ではなく親和性のあるバランスを産み出していく知恵あるいは美意識として
デザインはある。政治の限界は国家の限界としてあるが、デザインの概念に国境はない。
世界の人々が同時に合理性の界面に触れることができたら、世界はひとつ賢くなる。
「感覚の平和」とでも呼ぶべき知恵のかたちを探しあてる試みがデザインである。
その端緒はまさに社会や世界の側にある。(本書262~263ページ)
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デザインはその語源をたどると「整理する」ということばらしい。
「物の本質を考えながらあらゆる物の関係を整理する(本書200ページ)」
そうなので、この現代社会にもデザインの端緒が見えてくるのではないか。