花鳥風月記

流れる水に文字を書く

カティンの森

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岩波ホールにて。
アンジェイ・ワイダの作品は今までいくつか観てきた。
灰とダイヤモンド」「コルチャック先生」「鷲の指輪」など。

灰とダイヤモンド」は20年位前、三軒茶屋で上映会とパネルディスカッションがあり、
筑紫哲也が「最後、主人公マチェクが銃撃されながら逃げるシーンがあって、
病院の屋上で、白いシーツに血まみれの身体が触れることで、白黒であっても
赤い色を表現した、ということが印象的で、日本でこれを真似したのが、
梅宮辰夫の『高校生番長』だった」
というような話をしていたのをいまだに覚えている。

またアンジェイ・ワイダが日本好き?で、クラクフの日本センターの館長か何かを
務めていた、ということも聞いたことがある。

そんなこともあってか、観に来た人の殆どが、きっと今までアンジェイ・ワイダ作品を
観続けているだろう、という感じの年輩の方が多かった。

話の内容は、かつて歴史のタブーとされた「カチンの森事件」を扱っている。
ソ連社会主義の無謬性を否定する時に昔から日本でも伝えられたことがあっても、
積極的に触れられることはなかった。勿論、かの国ポーランドでは、
社会主義体制下の時には口にするのも憚られるような時代もあった。

アンジェイ・ワイダはその「カティンの森事件」で虐殺された将校の遺児であった。
当時14歳。その悲劇は想像することは出来ない。
今まで彼の映画で世に問うものは沢山あったが、
今回の映画は、画面に鬼気迫るものを感じた。

ナチスにも社会主義にもあった、大国に対する小国の悲哀。
無力化・無能化を意図した大量虐殺。
その罪の告発を、終盤の淡々とした処刑の場面で綴っている。
観る側に「歴史に立ち会うことの辛さ」を突きつけている。

兄のために作った墓石が破壊され、
その「カティン」という文字も切りとられ消されていく。
徹底した国家という「暴力装置」が人々を苦しめ、
また苦しめる側も、心で苦しみ自死を選ぶ。

しかし、時を経て、全てが解明された訳ではないが、
その歴史が明らかになった。
脈々と息づく、人としての誇りや強さも同時に表現している。

今に生きる人々に、決して忘れてはならないこと。
かつては国家権力による「隠蔽」といったものであった時代は、
より鮮明な記憶を呼び起こす力も強くなる。
しかし、同時に「風化」という問題もある。

時代が大きく変わる今だからこそ、
この映画で問われる「人間」の強さ・弱さに、身を捩(よ)じらせる。