戦場でワルツを
シネスイッチ銀座にて。
ドキュメンタリーをアニメーションという手法で描いた意欲作。
主人公(この映画の監督)の19歳の頃の記憶を探す旅のなかで、
生々しい記憶が次々と蘇ってくる。
そしてそれが、1982年の“サブラ・シャティーラ大虐殺”にたどり着く。
記憶をたどるときに、心理学的なアプローチや心象風景、
そして当時の映像を、アニメーションという仮想世界でありながら、
よりリアリティのある表現になっていることに驚きを感じた。
ワルツ、というのは、どこから狙われているか分からない市街戦で、
ひたすら放射線状に機関銃を撃ちまくる姿と重ね合わせてあり、
それが「ワルツ」という記憶になっている。
確かにこれは、アニメでしか表現しえない。
また、ドキュメンタリーとしてインタビューの映像が、
実写に近い形でのアニメ(本当に実写から作っているらしい)は
ある意味では、30年と経たない、生々しさを抑えるには
必要なのかもしれない。
その意味では、リアリティを示しながら、どことなく現代に生きる人は、
守る、という背景や性格もあるだろうが、「隠れて」いる。
しかし、この映画でのラストシーンは、
サブラ・シャティーラ大虐殺の実際の映像が流れる。
これが事実だ、と。
隠したいもの・隠されてはいけないもの。
そのせめぎあいに揺れる映画だと感じた。
ドキュメンタリーをアニメーションという手法で描いた意欲作。
主人公(この映画の監督)の19歳の頃の記憶を探す旅のなかで、
生々しい記憶が次々と蘇ってくる。
そしてそれが、1982年の“サブラ・シャティーラ大虐殺”にたどり着く。
記憶をたどるときに、心理学的なアプローチや心象風景、
そして当時の映像を、アニメーションという仮想世界でありながら、
よりリアリティのある表現になっていることに驚きを感じた。
ワルツ、というのは、どこから狙われているか分からない市街戦で、
ひたすら放射線状に機関銃を撃ちまくる姿と重ね合わせてあり、
それが「ワルツ」という記憶になっている。
確かにこれは、アニメでしか表現しえない。
また、ドキュメンタリーとしてインタビューの映像が、
実写に近い形でのアニメ(本当に実写から作っているらしい)は
ある意味では、30年と経たない、生々しさを抑えるには
必要なのかもしれない。
その意味では、リアリティを示しながら、どことなく現代に生きる人は、
守る、という背景や性格もあるだろうが、「隠れて」いる。
しかし、この映画でのラストシーンは、
サブラ・シャティーラ大虐殺の実際の映像が流れる。
これが事実だ、と。
隠したいもの・隠されてはいけないもの。
そのせめぎあいに揺れる映画だと感じた。