花鳥風月記

流れる水に文字を書く

木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン

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東京都写真美術館にて。
天気が良かった。

同じ時代、ライカを引っさげて生き、
交流もあった2人の写真を観ることによって、
その親和性と差異を感じる企画。
2人とも、モノクロ写真のイメージがあるが、
実験的にカラー写真も展示してある。
但し、木村伊兵衛が肯定的に写しているのに対し、
アンリ・カルティエ=ブレッソン(以下、HCB)は懐疑的であるらしい。

木村伊兵衛の写真については、当時の世相を想像しながら見た。
こういうときは、できれば西暦だけでなく、「昭和」も入れて欲しかった。
別に元号礼賛という訳ではないが、精神に息づくのはやはり昭和もある。
西暦という記号性だけではない、庶民的な親しさはあまり否定したくない。

沖縄の写真は、太平洋戦争前のもの。
そして、東京の写真は、戦後のもの。
いわゆる戦争の傷跡そのものの写真はなかったように思う。
これは、写真の持つメッセージで肯定的に映し出すことに重きを置いている、
ということなのかもしれない。

そしてポートレートは、巷間に流布するイメージとは別の印象を持つ。
ロベール・ドアノーが写したオーソン・ウェルズがそうであったように、
木村伊兵衛の写す谷崎潤一郎は、面白い。
壮年の中にあどけなさ・少年が含まれ、
ぶっちゃけいうと「エロ小僧」然としたオーラが漂っていた。

HCBの写真は、有名な「サン・ラザール駅裏、パリ 1932年」があった。
あの今にも水溜りに嵌りそうな「決定的瞬間」だが、
どことなくプリントがぼんやりしている印象を受けた。

それよりも、印象深かったのが、
「強制収用所から解放時に自分を密告したゲシュタポの内通者をつきとめた女性1945年」
タイトルが殆ど言い表しているが、ここに写る人々の目の重さと
憔悴しきった女性の対比がモノクロ以上に鮮明だった。
HCBは時代から逃げてはいないなあ、と感じた。

同時代の二人の比較は、結構面白かった。