花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(194) 閉店の風景

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年度終わりの3月には、閉店を知らせる店舗が所々見られる。
ここ最近は、いままで馴染みのあった店もいくつか見られた。

今日は実に4店舗見つかった。
最初の3店舗は、銀座駅地下。階段下りてすぐの寿司屋とカレー屋、
そして並びの本屋。

寿司屋は、昭和32年の開業とある。
確かに、自分の最初の記憶としては、実際に人が握っていた。
500円くらいで、握りを手軽に食べられた。
同じような店舗が、新橋にもあり、そこは立ち食いそばと同じ店舗だった。
確かに寿司は、日本の古式ゆかしき「ファストフード」だった。それも美味しい。

それが時代がかわり、店は回転寿司になった。
回転寿司も大ブームになった。それに反して、握る人がいなくなり、
どちらかというとネタの個性や、価格の競争が普通の「ファストフード」並に過熱した。
それは、「時代の変遷と淘汰」・もしくは「不況とえげつない資本主義化」の
結末といえなくもない。

せっかくなので、寿司を食べる。いまでは一皿137円という統一金額。
皿と合計の金額表が貼ってあり、予算を確認しながら皿を取る、という配慮もある。
しかし、本来の寿司は、金額をいちいち気にしない、
もしくは気にしつつも、それを表面に出さないのが「粋(いき)」ではなかったか。
出すカネを考えながら食べたら、自然に皿に伸ばす手は止まるだろう。
更にいうなら、それだけ作り手に多くの寿司を食べさせる自信がない、
ということなのだろう。だって機械が握ってんだから…。

最後になるであろう店内は、ひとことで言えば
「皿は回る、されど寿司は回らず」だった。
客がいないので、結局は注文して握っていた。

回転寿司のベルトコンベアシステムで名を馳せた
北日本カコーのシールがくたびれたようにくっついていた。
そして、給湯口からは、締まりなく、お湯が滴(したた)っていた。

向かいのカレー屋「からなべや」は閉店の掲示が強気だった。
東京メトロの都合により閉店します」
カレーはもはや国民食で、繁盛もしていたのだろう。

その奥の本屋は、雑誌以上に、文庫本なども、あの場所にしては多かった。
いつも立ち読みする人が絶えない、ある意味「情報ステーション」でもあった。
自分も、貧しい学生の時は、あそこで「ぴあ」を立ち読みして
映画館の情報を確認していた。

恐らくは、東京メトロの地下街リニューアルによって立ち退きを
余儀なくされたのであろう。
恐らくは、テナントの賃貸契約も、家主に有利なものになり、
常に「新規開店」と「店舗回転」で話題性だけを頼みにやっていくのだろう。

同じような光景を東京駅地下街にも見た。
紳士洋品店が閉店。「34年間ありがとうございました」とある。
閉店セールで、正絹のネクタイを買う。2本買った。1,050円。

東京駅地下街も、例えば同じような「たい焼き屋」を
同じような敷地内に2店も作るなど、節操がない。

大雑把な感慨としては、高度経済成長期を支え、共に歩んだ光景の一つ一つが、
外から来た、えげつないビジネスの発想に駆逐されているような気がした。
それは、会話のあるなしにかかわらず店と客の「情の交差」という「安心」を奪い、
むしろ話題性だけを頼りに、どうやったら客の懐から「カネ」を奪うか、という
えげつない発想になってしまったのではないか、と思う。

きっと街は綺麗になっていくだろう。オシャレになっていくだろう。
しかし、それが「居心地の良い」街とはいえない、というのは、
直感的にも、感じられる。