私を見て!―ヌードのポートレイト―
恵比寿の東京都写真美術館にて。
3部作シリーズの2番目。
ヌード写真に関して、それを芸術的に捉えるか否かで、
話の間口が異なってしまう。
というより、そもそも芸術とは…と考え出すと、深みにはまりそうな感じがする。
今回の展示も、「邂逅(かいこう)」「表現」「家族」「自己(アイデンティティ)」という
4章立てにし、その道筋を作ろうという配慮(苦慮?)があった。
ヌード写真は、写真が発明された早い時期に存在し…それは、資料的要素で…
ま、分からないでもない。
身近な「美」の表現として、それは存在し、絵画よりもより写実的に、
写実的であればこそ、絵画とは違う構図・画像効果(必ずしも絵画よりも美しくない)も
試行錯誤のなかにある。
写真は、更に身近になり、メッセージ性を含むこととなる。
何かのメモリアルであったり、社会的なオピニオンであったり。
見えないことで、そのメッセージを伝えようという試みもある。
写真は、ほとんどが女性のヌード写真だったが、男性のものもある。
意外とそれが、背徳的なイメージを醸し出していた。
送り手のメッセージの問題なのか、受け手の解釈の問題なのか、
今ひとつ、整わない。というか、突き抜けてない。
それはきっと次回展示への嚆矢(こうし)なのかもしれない。
3部作シリーズの2番目。
ヌード写真に関して、それを芸術的に捉えるか否かで、
話の間口が異なってしまう。
というより、そもそも芸術とは…と考え出すと、深みにはまりそうな感じがする。
今回の展示も、「邂逅(かいこう)」「表現」「家族」「自己(アイデンティティ)」という
4章立てにし、その道筋を作ろうという配慮(苦慮?)があった。
ヌード写真は、写真が発明された早い時期に存在し…それは、資料的要素で…
ま、分からないでもない。
身近な「美」の表現として、それは存在し、絵画よりもより写実的に、
写実的であればこそ、絵画とは違う構図・画像効果(必ずしも絵画よりも美しくない)も
試行錯誤のなかにある。
写真は、更に身近になり、メッセージ性を含むこととなる。
何かのメモリアルであったり、社会的なオピニオンであったり。
見えないことで、そのメッセージを伝えようという試みもある。
写真は、ほとんどが女性のヌード写真だったが、男性のものもある。
意外とそれが、背徳的なイメージを醸し出していた。
送り手のメッセージの問題なのか、受け手の解釈の問題なのか、
今ひとつ、整わない。というか、突き抜けてない。
それはきっと次回展示への嚆矢(こうし)なのかもしれない。