花鳥風月記

流れる水に文字を書く

『ハリウッド100年のアラブ』 村上由見子

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アラジンが中国人だった(しかも辮髪)、と衝撃的な記述から始まる。
この本は、9.11をきっかけとして、「アラブ」という概念が、いかに
アメリカ―ハリウッド―西洋―世界へとつながって行ったかを詳細に分析している。
そもそも戦争中のプロパガンダの延長戦上で考えることもできるが、他民族国家としては
だれが(その出自も明らかにした上で)どのように映画をつくり巷間に流布していったか、
そして、近年の国際情勢にどう影響しているかを克明に記録している。
最初は「アラブ」というイメージについて書かれていて、観た事のない作品を追いながら
読み進めるには骨を折ったが、終盤に向かうにつれ、読むものを引き付ける内容になってきた。

湾岸戦争以降、報道に関する規制が強くなり、ピンポイント爆撃などの映像が
次第に増えたたこと受け、こう書かれている。

 衛星カメラ、赤外線カメラ、暗視カメラと、監視と透視の目に捕らわれた人間はいかにも
無力で弱々しい。だが、逆に言えば、監視や透視カメラではけっして映し出せないものがある。
それが人間の肉体感覚であり、内面の感情だ。その身体感覚と感情をあますところなく表現して
くれるのが映画ではなにより意識されてはいけないところのもうひとつの眼、撮影カメラである。
 ハイテク機器の「冷たい眼」によって戦争の凄惨な実態が隠蔽され、ますます目に見えなく
なっている一方、映画の撮影カメラの「熱い眼」はそれに代わって"迫力ある戦争映像"を
ふんだんに提示してくれる。身体に弾が貫通して血が噴き出す瞬間もスローモーションで
見せてもらえれば、爆音やうめき声も明瞭に聞こえ、すさまじい爆破や炎上シーンも目前で
たっぷり堪能できる。いわば<去勢>されてしまった報道カメラに代わるように、映画の撮影カメラは
かぎりなく熱く<発情>し、どんな激しい戦いにも突入し、多様なアングルから戦場を目撃し、
敵に対する怒りや恐怖の感情を映し出し、本当の戦争とはどういうものなのかを教え示してくれる。
近年のハリウッド映画でなおいっそう求められている「迫真の(傍点がついてます)」戦争映像。
それは「真の(傍点付き)」戦争が見えなくなった観客側のフラストレーションと欲望を反映して
いるのだろう。(本書316ページより)

観客はいつも腹ペコなわけだが、その欲望に意図して「毒」を用意するのもここ100年の慣わし
なのかもしれない。