花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景・再び (33)

明示する


世の人々は、勧善懲悪のドラマを観すぎて、
明らかな善悪の区別しかできない、という先入観があるかもしれない。

しかしながら、「清濁あわせ飲む」という言葉に
ある種の親近感(おお、こっちの世界に来たか、というような…)や
不可解な「オトナ」としての認識(それが分かったら一人前…)を
感じている諸兄も多くいる。

翻って、日常を見ると、その明らかなる善悪は、
明らかにしないことを前提に物事を進めるわけで、
決して明らかにならない。
あるとするならば、「明らかになるはずはなかろう」
という確信が崩れた瞬間に出てくるのだろう。
削除したメールが復活したり、内部告発がおこったり…。

前者は、機械文明に対する認識の甘さ、というより
機械文明の「長」とはどんな存在か、ということが、
隠然たる恐怖へと変わることを意味し、

後者のそれは、人間としての良心・保身・自己出世など、
それこそ“清濁あわさった”中での「自己昇華」とも言える。

いずれもしてもそれは、従来の人間のもつ
“清濁あわさった”人間関係への挑戦であり、崩壊でもある。

その先にあるものは、なんだろうねえ…。


第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、
      権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる
      犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。