花鳥風月記

流れる水に文字を書く

都市は、空気と水が自由にならない

利根川水系に近い金町浄水場放射性物質が検出された、とのことで
東京23区と一部の地域については、
乳児に水道水を飲ませるのを避けるように、との声明。
野菜や牛乳に続いて、だんだんと恐ろしいことになってきた。
スーパーでは、ミネラルウォーターの買い占めもあるようだ。

水道水は、昔は「鉄管ビール」といわれていた。
ふぞろいの林檎たち」では、大学生役の時任が、
母親役に「砂糖水飲むか?」というシーンがあった。
カルキ臭があろうとなかろうと、昔は水道水をグイグイ飲んでいた。
ついでに言うと、地下鉄や公共施設にあった冷水器もタダだから、結構飲んでた。

いつの間にか、「飲み水」はカネで買う時代になってしまった。
おカネで買った最初の思い出は、家族で東京から大阪へ車で移動したとき、
たしか夜通しとなった翌日、あまりにも暑くて、コンビニかどこかで買った。
その時には、「六甲のおいしい水」だったような気がする。
ジュースも、以前はけっこうなぜいたく品(まあ、小中学生なら…)だったが、
いまでは蛇口をひねるように、簡単にそこかしこの自販機で手に入れられる。

思うに、カネで買うものに対し、今まで異常なくらいのキャンペーンと空気を
醸し出していたのではなかろうか。
水にしても、お茶にしても、元手はほとんどかからないから、
宣伝費をバンバンつかって、安心や安全、そして美味くもないのに
「美味い」というイメージ(これは飲み慣らされた結果でもある)に
洗脳された感じがする。

今回は、リアルに危険なのだろう。
なればこそ、今まで自由に手にしていた水の価値が見えてくる。
本当に、売られている水やお茶の価格が適正なものなのかどうか。
そして、何らかの「見えざる手」によって、過分に安全の対価を
むしりとられてはいないか。
さらに、ことの発端を辿れば辿るほど、
「持つもの・持たざるもの」の構図が見えてはこないだろうか。