花鳥風月記

流れる水に文字を書く

ナチス偽りの楽園 ハリウッドに行かなかった天才

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新宿のK’sシネマにて。2002年、または2003年の作品。
21時半以降に約束があったので、
たまたま20時開始の映画を観た。

何の前知識もなかったが、
今回の映画は今までにないナチスの狂気といったものが感じられた。
そしてわずかな資料と証言・再現映像を織り交ぜ、
残酷な映像を超えた映像表現を与えてくれたと思う。

クルト・ゲロンというユダヤ系のドイツ人が、
愛嬌のあるキャラクターと艶のある歌声で、
舞台や銀幕で活躍し、有名になっていくのと同時進行で、
ナチスドイツが台頭する。
同業者がハリウッドに難を逃れているのを尻目に、
芸術(あるいは芸)にしか視界の定まらないゲロンは、
やがてユダヤ人迫害の渦中に放り込まれる。

当時のナチスは、中立国から強制収容所に関しての
説明を求められていた。
そしてテレージェンシュタット収容所を楽園として欺こうとした。
国際赤十字社を騙してから、更にプロパガンダ映画を作成しようとし、
その監督をゲロンにさせた。

勿論、収容所に押し込められた側であり、
いわれなき迫害に苦しみながら、そのナチスに加担をするか否か。
断れば拷問・虐殺が待っている中、仕事を承諾し、
その後は「良い仕事をする」ということに熱心であろうとした。
収容所のなかでも、とにかく笑顔を作らせようと、努力した。
しかし「現場は監督することはできても、瞳の奥の恐怖を取り除くことができなかった」
という証言があるとおり、明るい雰囲気にはできなかったようである。
作品は完成したが、日の目を見ることなく、ナチスドイツの終焉を迎える。

しかし、ゲロルは、完成後アウシュビッツに送られ、着いて程なくガス室へ送られた。
そしてその翌日には、ヒムラーガス室の永久閉鎖を発表した。

明らかな「記録の抹殺」である。
ゲロルの作った映画は断片しか残っていないようだが、
本作品では、それを補って余りある証言や描写があった。

それは、ホロコーストを扱うような残酷なものではないが、
その時々の人の揺れ動く気持ちが、どことなく背筋が凍るものであった。

戦後、という言葉が遠くなりつつある現在まで、
幾度となく「反動」という形で「記録の抹殺」は試みられた。
しかし、同時代性があるからこそ、「記憶の抹殺」には至らず、
記録もまた、かろうじて残っている。

問題はこれからだ。
改めて「胸に刻み、想いを馳せる」という言葉を意識した。