花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景・再び (37)

迅速な


福島第一原発の事態が収拾しない。
世界にも名高い「技術力」をもってしても…と言いたいところだが、
どうやら、問題はそうではないらしい。

その技術力がどうやら「組織力」に負けているらしい。
先週テレビ東京の「ガイアの夜明け」を見た。
例えば、高濃度放射能汚染水の放射能を除去して循環するシステムは、
フランスのアレバ社が良く注目されているが、
実際に作業にあたっているのは、東芝・日立といった各メーカーなどの
連合体らしく、足並みがなかなか揃わないらしい。
慎重であることは大切だが、そのテレビを見た印象は、
責任感の回避に蓄積の上に、時間が浪費されてるような感じだった。
勿論、テレビの演出上かもしれないので、なんともいえない。
現場の苦労や恐怖は想像もつかない。

組織力」とは何かをよくよく考えると、
責任感の分散であるような気がしてならない。
一人に負わすのでなく、みんなで分け合う。
そのみんなが、一体どういったものか分からないが、
汚染水よりも早く、希釈・雲消されてしまうものなのかもしれない。

もしかすると、早くことを伝えるのは、
ごく個人に集約されざるを得ないのかもしれない。
その責を一身に受けつつ、早く「危険」を伝えること。

守るものが違えると、どうやら「組織力」は逆方向に動くらしい。



第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な
      公開裁判を受ける権利を有する。
    2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、
      又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
    3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼する
      ことができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、
      国でこれを附する。