おじいさんと草原の小学校
岩波ホールにて。
イギリスから独立したケニアで、2003年、無償の教育制度が導入された。
子どもに学校教育を受けさせたい親がごった返し、机も椅子も十分でない小学校に
84歳の老人マルゲが、入学希望として現れる。
ノートと鉛筆、服装、と断られた理由のひとつひとつを揃えて
ついに、校長のジェーンの決断で、教室に入ることを許された。
マルゲには、理由があった。大統領府から送られてきた手紙を
自分で読みたかった。
教育を受けずに育ち、(そしてそれは山羊のようだ、と本人が言う)
マウマウ団として、抵抗運動をするなか、とらわれ、拷問され、
目の前で、妻と幼い2人の子どもを殺され、収容所を転々とした。
時にそれはフラッシュバックとして、マルゲを苦しめていた。
84歳の小学1年生は、たちまち巷間に流布することとなる。
もてはやすメディアとは裏腹に、反対する保護者、
そして取材されることで、おカネを貰っているだろうという
根拠のない中傷。
やがてそれは、校長ジェーンの立場も危うくし、
僻地への異動を余儀なくされた。
マルゲは、教育省に赴き、事務員の静止を振り切って、上層部に直談判する。
身体に刻み込まれた生々しい傷痕を見せながら…。
そして、ジェーンは、元の学校に戻る。
そしてマルゲは、自分に送られた手紙をジェーンの同僚に読ませた。
そこには、名誉の復活と、今の独立があることへの謝意、そして賠償が書かれていた。
積年の思いが、氷解した瞬間だった。
以上がストーリーだが、これは実話に基づかれている。
そして、その中にも、部族間同士の対立や軋轢(親帝国と反帝国)
など、きっとまだ根強い問題もあるのだろうが、
マルゲが、「教育」という子供たち未来のために、
果ては、国連の演説にまで行ったそうだ。
彼が2009年に亡くなってからの製作なのか、分からないが(2010年公開)、
胸が熱くなる、ヒューマンドキュメンタリー(ドラマ)だった。
イギリスから独立したケニアで、2003年、無償の教育制度が導入された。
子どもに学校教育を受けさせたい親がごった返し、机も椅子も十分でない小学校に
84歳の老人マルゲが、入学希望として現れる。
ノートと鉛筆、服装、と断られた理由のひとつひとつを揃えて
ついに、校長のジェーンの決断で、教室に入ることを許された。
マルゲには、理由があった。大統領府から送られてきた手紙を
自分で読みたかった。
教育を受けずに育ち、(そしてそれは山羊のようだ、と本人が言う)
マウマウ団として、抵抗運動をするなか、とらわれ、拷問され、
目の前で、妻と幼い2人の子どもを殺され、収容所を転々とした。
時にそれはフラッシュバックとして、マルゲを苦しめていた。
84歳の小学1年生は、たちまち巷間に流布することとなる。
もてはやすメディアとは裏腹に、反対する保護者、
そして取材されることで、おカネを貰っているだろうという
根拠のない中傷。
やがてそれは、校長ジェーンの立場も危うくし、
僻地への異動を余儀なくされた。
マルゲは、教育省に赴き、事務員の静止を振り切って、上層部に直談判する。
身体に刻み込まれた生々しい傷痕を見せながら…。
そして、ジェーンは、元の学校に戻る。
そしてマルゲは、自分に送られた手紙をジェーンの同僚に読ませた。
そこには、名誉の復活と、今の独立があることへの謝意、そして賠償が書かれていた。
積年の思いが、氷解した瞬間だった。
以上がストーリーだが、これは実話に基づかれている。
そして、その中にも、部族間同士の対立や軋轢(親帝国と反帝国)
など、きっとまだ根強い問題もあるのだろうが、
マルゲが、「教育」という子供たち未来のために、
果ては、国連の演説にまで行ったそうだ。
彼が2009年に亡くなってからの製作なのか、分からないが(2010年公開)、
胸が熱くなる、ヒューマンドキュメンタリー(ドラマ)だった。