花鳥風月記

流れる水に文字を書く

横尾忠則 『ツイッター、その雑念のごみ箱』

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2010年3月31日から2011年3月31日までの
ツイッターでの「つぶやき」を収録している。
ツイッターは、時系列ごとに文章が重なっていくが、
本としては当然ながら、逆になる。

逆にして読んで、改めて、この70過ぎのオッサンの
溢れる「雑念」に驚く。
「ごみ箱」なのだから、結局「ゴミ拾い」をしたことになるが、
様々な示唆に富む内容がある。

芸術に目的があるとすれば人間精神を生まれながらの融通無碍な状態に戻すことだろう。
                         (2010年7月16日17:41)
スランプなどというものはない。スランプだと思っているだけ。
描けないのでなく、描かないから、描けなくなるのだ。
                         (2010年10月3日20:22)
「描けない」というのは一種の病気だ。描いてみれば病気は治る。
                         (2010年10月3日20:23)
分別臭い人間は、「~べき」であると言う。「~べき」は生きにくい。
無分別でええのんちゃう。
                         (2010年10月3日20:26)
絵を描き出すと、気持ちよくなって眠くなる。
といって眠りたい時に絵を描くと今度は目が冴える。
                         (2010年10月3日20:28)

アートとデザインの違い?それはデザインは本能を隠蔽するが、アートは本能の露出だ。
                         (2010年12月7日17:32)
「見る」ことは疲労するが、「眺める」ことは休息になる。
                         (2010年12月27日4:36)

何の脈絡もなく、拾ってみたが面白い。
というか、立て続けに、そしていろんな時間に吐き出せるなあ、と。

やはり、人間は雑念と煩悩がないとダメだな…。