新藤兼人監督を偲んで
映画監督の新藤兼人氏が老衰のため亡くなられた。
100歳とのこと。
あらかじめ注釈を付けなければならないが、
新藤監督作品を多く観たわけではない。
個人的な接点もない。
強いて言えば、随分前に赤坂TBS近くの蕎麦屋で
飯を食っているところに、向こう側に陣取って
蕎麦をすすっていたところを見たことがある。
テレビで見るよりも、髪も肌も白く見えた。そのくらいのことしかない。
意識的に見たのは、晩年の映画「陸に上がった軍艦」だった。
新藤監督の何が大切であったかというと、
やはり戦争の悲惨さをともに、
それがいかに「おかしかったか」ということを
表現できたか、ということだろう。
「おかしさ」の中には「可笑しさ」もあり、
奇天烈・ユーモラスもある。
少しでも世代・年代が異なれば
「不謹慎」だの「ねつ造」などの誹りは免れない。
しかし、90歳を過ぎても、泰然と製作にあたるその姿に
エキセントリックな批判が出なかったように思えた。
生きているからこそ、言える。
言えるから、強く正しい。
最晩年は、広島の原爆について
その原爆が落ちたそのものを映画で表現したいと話していた(と思う)。
それは意欲的で、かつ創作的ではあるが、
きっと誰よりも、それがリアルなものとして
伝わるべくものが生まれたのでは、とも思った。
「戦争」という歴史と「エンターテイメント」を
ほんとうに「良く」伝えられる監督がいなくなったのは、残念でならない。
100歳とのこと。
あらかじめ注釈を付けなければならないが、
新藤監督作品を多く観たわけではない。
個人的な接点もない。
強いて言えば、随分前に赤坂TBS近くの蕎麦屋で
飯を食っているところに、向こう側に陣取って
蕎麦をすすっていたところを見たことがある。
テレビで見るよりも、髪も肌も白く見えた。そのくらいのことしかない。
意識的に見たのは、晩年の映画「陸に上がった軍艦」だった。
新藤監督の何が大切であったかというと、
やはり戦争の悲惨さをともに、
それがいかに「おかしかったか」ということを
表現できたか、ということだろう。
「おかしさ」の中には「可笑しさ」もあり、
奇天烈・ユーモラスもある。
少しでも世代・年代が異なれば
「不謹慎」だの「ねつ造」などの誹りは免れない。
しかし、90歳を過ぎても、泰然と製作にあたるその姿に
エキセントリックな批判が出なかったように思えた。
生きているからこそ、言える。
言えるから、強く正しい。
最晩年は、広島の原爆について
その原爆が落ちたそのものを映画で表現したいと話していた(と思う)。
それは意欲的で、かつ創作的ではあるが、
きっと誰よりも、それがリアルなものとして
伝わるべくものが生まれたのでは、とも思った。
「戦争」という歴史と「エンターテイメント」を
ほんとうに「良く」伝えられる監督がいなくなったのは、残念でならない。