辺見庸 『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』
NHK出版新書、2012年刊。
東日本大震災に対して、どんな「言葉」が紡げるのか。
マスメディアの空疎な言葉に辟易しながらも、
その言葉自体が奪われていたのでは、という問題に気づく。
出身地でもある石巻の風景、
そして渉猟した数々の文学作品の中から
自らもその言葉を探すことに苦闘する。
読了するまで、時間がかかった。
実は、第一章「入江は孕んでいた」の途中で読みさした。
やや難しいというか、とっつきにくさは辺見庸従来のものであったが、
自分の気持ちもついて行かなかった。
今年の「新年の辞」で自分自身が書いた内容と通底するところがあった。
だからだろうか、自分がどこか納得いくところまでいかないと
読み続ける気持ちが出てこない気がした。
この夏の石巻に行くまでに、少しずつ読み直した。
そして、かつて辺見庸が過ごしたとされる風景や、
震災の傷痕を見て、更に読み進めた。
著者自身が震災をどう語るか格闘する中で、
先人の著書を繙(ひもと)く。
その中から、ふと浮かび上がったことばがある
「言葉と言葉の間に屍がある」
「人間存在というものの根源的な無責任さ」
禁忌・忘却・享楽?という人間の性(さが)との対峙の中で
「言葉」が紡がれる、深い、深い考察だった。
東日本大震災に対して、どんな「言葉」が紡げるのか。
マスメディアの空疎な言葉に辟易しながらも、
その言葉自体が奪われていたのでは、という問題に気づく。
出身地でもある石巻の風景、
そして渉猟した数々の文学作品の中から
自らもその言葉を探すことに苦闘する。
読了するまで、時間がかかった。
実は、第一章「入江は孕んでいた」の途中で読みさした。
やや難しいというか、とっつきにくさは辺見庸従来のものであったが、
自分の気持ちもついて行かなかった。
今年の「新年の辞」で自分自身が書いた内容と通底するところがあった。
だからだろうか、自分がどこか納得いくところまでいかないと
読み続ける気持ちが出てこない気がした。
この夏の石巻に行くまでに、少しずつ読み直した。
そして、かつて辺見庸が過ごしたとされる風景や、
震災の傷痕を見て、更に読み進めた。
著者自身が震災をどう語るか格闘する中で、
先人の著書を繙(ひもと)く。
その中から、ふと浮かび上がったことばがある
「言葉と言葉の間に屍がある」
「人間存在というものの根源的な無責任さ」
禁忌・忘却・享楽?という人間の性(さが)との対峙の中で
「言葉」が紡がれる、深い、深い考察だった。