Iさんへ
伊藤千尋さんの「奇聞総解」で、いつも一緒だったIさんが亡くなった。67歳。
おひとりだったので、親族の方からのはがきで知った。5月のことだったそうだ。
うちの近所に住まわれていて、といって地元ではお会いしたことはなかったが、
狛江からの帰り道は、いつも一緒だった。
小柄ながらも、大きなだみ声。
いろんな講演会に積極的に参加し、
確か現役の頃には、組合運動でフランスまで行っていた、
との話も聞いた。
べらんめえ調なので、言葉を正確に把握できない…特にお酒が入ると…けれど、
その真っ直ぐな気性に、皆、心を許していたと思う。
1994年から「奇聞総解」が始まって、18年。
Iさん49歳、自分が25歳と思うと、月日の早さを感じる。
毎月だったペースが、最近では年1回あれば、という感じに…。
伊藤さんも忙しそうなので、ほとんど開かれることが無くなった。
Iさんも一時期、体調を崩されて手術・入院をされていた時期もあった。
その後、快復され、(医者にはきっと控えるよう言われていただろうが…)
美味しそうに水割りを飲んでいた。
たまに電車であったり、本(結構分厚いもの)を頂いたりした。
Iさんは、「下町人間の会」にも入っていた。
江戸というか、「昭和の東京」をとても大切にされていたと思う。
自分の心象風景にいつもあるもの。
それは人のつながりでもある。
なんかいつもある風景がなくなることの寂しさを
じんわりと、じんわりと感じている。
ほんとうに遅まきながら、ご冥福をお祈りします。
おひとりだったので、親族の方からのはがきで知った。5月のことだったそうだ。
うちの近所に住まわれていて、といって地元ではお会いしたことはなかったが、
狛江からの帰り道は、いつも一緒だった。
小柄ながらも、大きなだみ声。
いろんな講演会に積極的に参加し、
確か現役の頃には、組合運動でフランスまで行っていた、
との話も聞いた。
べらんめえ調なので、言葉を正確に把握できない…特にお酒が入ると…けれど、
その真っ直ぐな気性に、皆、心を許していたと思う。
1994年から「奇聞総解」が始まって、18年。
Iさん49歳、自分が25歳と思うと、月日の早さを感じる。
毎月だったペースが、最近では年1回あれば、という感じに…。
伊藤さんも忙しそうなので、ほとんど開かれることが無くなった。
Iさんも一時期、体調を崩されて手術・入院をされていた時期もあった。
その後、快復され、(医者にはきっと控えるよう言われていただろうが…)
美味しそうに水割りを飲んでいた。
たまに電車であったり、本(結構分厚いもの)を頂いたりした。
Iさんは、「下町人間の会」にも入っていた。
江戸というか、「昭和の東京」をとても大切にされていたと思う。
自分の心象風景にいつもあるもの。
それは人のつながりでもある。
なんかいつもある風景がなくなることの寂しさを
じんわりと、じんわりと感じている。
ほんとうに遅まきながら、ご冥福をお祈りします。