明治十二年 明治天皇御下命「人物写真帖」
大手町の三の丸尚蔵館にて。入館料は無料。
大手門からの入口で入館証のようなプレートを受け取って入る。
明治天皇が、その「愛すべき」臣下を写真に置いておきたい、
という命令をだし、4,500人以上を1年間かけて撮影、
壮大なフォトアルバムを作成した。
当時は大蔵省に写真撮影所があったらしく、
そこが主宰となって作製が進められた。
撮影方法はあらかじめ決められ、身分の高い人物には
歌や漢詩を付けて製本。装丁は身分によって違っている。
全39冊。
幕末から明治にかけ活躍した人物が
同年代で、どんな人物がどのくらいの年齢なのかが
一目瞭然で参考になる。
西郷隆盛の写真はない。
明治十年に西南戦争で敗れ、世を去っていて、
なおかつ「逆賊」とされていた時期でもあった。
西郷はいまだ、現存する写真がなく、肖像画も想像に負うところがある。
肖像写真のテンプレートを唯一守っていないのが、大隈重信。
良く見る肖像写真よりも若い写真が背景入りで撮られている。
写真にもエピソードあり、ということか。
大手門からの入口で入館証のようなプレートを受け取って入る。
明治天皇が、その「愛すべき」臣下を写真に置いておきたい、
という命令をだし、4,500人以上を1年間かけて撮影、
壮大なフォトアルバムを作成した。
当時は大蔵省に写真撮影所があったらしく、
そこが主宰となって作製が進められた。
撮影方法はあらかじめ決められ、身分の高い人物には
歌や漢詩を付けて製本。装丁は身分によって違っている。
全39冊。
幕末から明治にかけ活躍した人物が
同年代で、どんな人物がどのくらいの年齢なのかが
一目瞭然で参考になる。
西郷隆盛の写真はない。
明治十年に西南戦争で敗れ、世を去っていて、
なおかつ「逆賊」とされていた時期でもあった。
西郷はいまだ、現存する写真がなく、肖像画も想像に負うところがある。
肖像写真のテンプレートを唯一守っていないのが、大隈重信。
良く見る肖像写真よりも若い写真が背景入りで撮られている。
写真にもエピソードあり、ということか。