花鳥風月記

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日本国憲法百景・再び 番外編 2013年憲法記念日社説を読む

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2013年憲法記念日社説を読み比べる

今年は、安倍政権の憲法96条の改正がメインの話題となっていた。

改正を推進するのは、読売と産経。
まあ、当然といえば当然なのか…。
読売は反対のポーズをとる民主党憲法改正の対案がないことに
ツッコミを入れているが、現行の憲法の可否を論じるなら、
いちいち改正案を出す必要性もないだろう。
出せ出せといって、自分らのペースに乗せたい、ということだろうか。

産経は「わが世の春」と言わんばかりに
改正の要諦の話もなく、ひたすらに自社で出した
「国民の憲法」の要綱の説明に終始する。
まるで「新しい歴史教科書」のようなノリだなあ、と。
何か「忘我の境地」のような印象を受ける。

日経は是々非々ではあるものの、制度やルールだけでなく、
内容をきちんと論じよう、ということが書かれている。
恐らく、それが精一杯なのだろう。

96条の改正についてのもっとも必要な認識は、
「プレイヤー」がルール変更するのはおかしい、ということだろう。
100mハードル走で、早く走るために選手がハードルを下げるよう
ルール改訂をするのは、ナンセンス、ということ。
本当に変えたいのなら、「何を変えるのか」ということを
はっきりさせて正々堂々、論じればよい、ということだろう。

憲法は「権力に縛りを効かす」ことが目的であり、
硬性憲法と言われるのは、過去にあった歴史に基づいてのこと。
反対側の社説は、ほぼそれに近い内容で論じている。

そのなかでも旗幟鮮明だったのが毎日。
明確な反対を述べている。
もう、20年くらい「読み比べ」をしているが、
時代が求めているときに、きちんと論じる毎日新聞
新聞紙としての役割を果たしている。

東京新聞も同じく、時の政権や国民の熱狂を
沈静化させるためにも、ハードルは下げるべきではない、
という地に足のついた論じ方だ。

朝日も反対であることには違いないのだが、
何か物足りない。
というよりも向かいの面の東大教授が
一面を割いて論じているのが何となく
この問題のメインを占めてしまっている。
そのくらいの論説がなぜ出せないのだろうか。
昔出していた「21本の提言」のような勇ましさは
どこに行ってしまったんだろうか…。

今年は5月3日に至るまで、様々な人が憲法を論じている。
そういう意味では、近年になく注目度が高い。
現時点では「ルール変更」という禁じ手に対しての
批判が多いので、溜飲が下がるような気もする。
そういう意味では、自民党はまたしてもオウンゴール
やらかしてしまったんではないか、とも思った。