花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景・再び (65)

属する


先日、想田和弘監督の観察映画の「選挙2」を見た。
参院選が近いからこそ、そのタイミングで公開したいとのこと。
極めて政治的な文脈であるが、どこか清々しさも感じた。

映画は、「選挙1」の時は、自民党から川崎市議会議員の補選に出た
山内和彦氏が当時の小泉旋風「改革を止めるな」というスローガンをもとに
がんじがらめな選挙慣行に辟易しながらも、市議会議員となる様を撮影された。

今回の「選挙2」は、1年半であえなく「お役御免」となりながらも、
先の震災・原発事故に怒りを感じで「完全独立候補」として、再度市議会議員に
立候補した。今回は、がんじがらめになるものはない。
当の本人が、むしろ候補者を観察しているような感じだった。
そこには「自粛ムード」を漂わせながらも、少しずつ従来の型をとれもろす(取り戻す)
姿が映っていた。

山内氏は、わずか8万円しか、選挙に投じなかったようだが、
トップ当選した竹田のぶひろ氏は、さらに上(下?)をいく、
4万円くらいしか使わなかったようだ。
映画では、竹田氏は朝四時から街頭に立って、
渡辺喜美の移ったアジェンダ(マニュフェスト?)を配っていた。
ま、イケメンなところも良かったのか…(笑)。

さて、政党に属するのが「悪」なのか、というと
必ずしも、そうではないはず。
問題は、政党のやることがひどい、ということで
小泉氏は「自民党をぶっこわす」という内ゲバで人気を博した。

民主党政権にしても、マニュフェストに書かれたことを
散々裏切っていたので、もはや相手にされない。
かといって、第三極は馬脚を現し、
今や政党の存在すら有権者にとって否定される存在となる。

しかし、政権ができ、内閣が作られるのは、過半数を確保する政党。
果たして、何も属さないというのが、是か非か。
今の選挙制度であれば、皮肉ながら「非」となろう。
なぜなら、その選挙制度は、政党が変えていったからである。

誰かが言っていた。

歴史は繰り返す。
一度目は悲劇として。
二度目は喜劇として。
三度目は秀樹カンゲキ、ギャランドゥ。


第六十五条  行政権は、内閣に属する。