「遠くでずっとそばにいる」
渋谷のユーロスペースにて。
終映間近の平日ということもあり、客の入りは少ない。
主人公の志村朔美(倉科カナ)が交通事故に遭い、
17歳から27歳までの記憶を喪失した。
記憶を手繰り寄せようとする中で、
「現在」という結果が常に眼前にある中で、
自分の姿を求めてさまよう。
やがて、交通事故は1年半で2回遭ったことが分かり、
消えた記憶の中で、形跡だけが残っていた「恋人」の存在を知る。
しかし、その存在を知ることが、
かつて自分を追いつめた「自分」と向き合うこととなる。
そこには、ある種の「愛憎劇」も存在した。
テーマの設定、映像美・静謐な音楽など、クオリティの高さが伺えた。
ただ、あえて「秀逸さ」が得られなかったのは、
配役とのアンサンブルではなかろうか。
NHKの朝ドラから女優となった2人が
奇しくもその愛憎劇を繰り広げるところを見ると、
往時からの成長が見て取れるが、
いかんせん、「上品」すぎるきらいがある。
説明をしない「余白」をうまく生かそうにも、
「品の良さ」が先行して、観る側の想像力までかきたてられない。
記憶のない10年間を話す中で、
誰それが死に、リーマンショックがあって、震災があって、続いて
「原発事故」がなかった…。これは致命的だ。
どういう経緯で作られたものかは、定かではないが、
その「定かではないものの」意向と威光が出すぎてしまったのかなあ、
という印象をもった。悪いわけではないが、勿体なかった。
終映間近の平日ということもあり、客の入りは少ない。
主人公の志村朔美(倉科カナ)が交通事故に遭い、
17歳から27歳までの記憶を喪失した。
記憶を手繰り寄せようとする中で、
「現在」という結果が常に眼前にある中で、
自分の姿を求めてさまよう。
やがて、交通事故は1年半で2回遭ったことが分かり、
消えた記憶の中で、形跡だけが残っていた「恋人」の存在を知る。
しかし、その存在を知ることが、
かつて自分を追いつめた「自分」と向き合うこととなる。
そこには、ある種の「愛憎劇」も存在した。
テーマの設定、映像美・静謐な音楽など、クオリティの高さが伺えた。
ただ、あえて「秀逸さ」が得られなかったのは、
配役とのアンサンブルではなかろうか。
NHKの朝ドラから女優となった2人が
奇しくもその愛憎劇を繰り広げるところを見ると、
往時からの成長が見て取れるが、
いかんせん、「上品」すぎるきらいがある。
説明をしない「余白」をうまく生かそうにも、
「品の良さ」が先行して、観る側の想像力までかきたてられない。
記憶のない10年間を話す中で、
誰それが死に、リーマンショックがあって、震災があって、続いて
「原発事故」がなかった…。これは致命的だ。
どういう経緯で作られたものかは、定かではないが、
その「定かではないものの」意向と威光が出すぎてしまったのかなあ、
という印象をもった。悪いわけではないが、勿体なかった。