レオナール・フジタ展
渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムにて。
日本を代表する洋画家、藤田嗣治の作品を
関係のあった画家の作品を含めて展示していた。
ポーラ美術館のコレクションを中心に日本に点在し、
かつ個人蔵や海外に保管されているものを蒐集し
足跡が分かるようになっていた。
随分前に、竹橋の近代美術館で、藤田の戦争画を観た。
今回、彼の生涯を知ったなかで、戦争協力とその批判というものが、
フランスに渡る一つの原因にもなっていることが分かった。
天賦の才をそのまま表したような風采。
戦時中だろうか、土門拳の撮影した写真には、
当時にしては稀有な、左手首と薬指に腕時計と指輪の刺青があった。
その写真に風景を見ても、戦時中にその生活を保障するには
ある程度の忍耐が必要だったのでは、と思う。
あるいは、天才が故の無邪気さ、というものがあったのだろうか。
土門の写真の中に移り込んだシッカロールで、
乳白色の肌色ときめ細かい線の秘密が明らかになった。
西欧で称賛された細い線は、日本画のそれと軌を一にするような気がした。
人物画、とくに子供の絵が多く展示されていた。
無表情というか無愛想な表情とともに、
職業を形容した小さな絵には、
子どもの可愛らしさが満ち溢れていた。
その中の一枚が、渡辺謙の娘、杏にとても良く似ていた。
昔、単身パリに乗り込んで修業をしたところをテレビで観たが、
パリの人間にとっては、フジタの絵の面影が重なったのであろうか。
日本を代表する洋画家、藤田嗣治の作品を
関係のあった画家の作品を含めて展示していた。
ポーラ美術館のコレクションを中心に日本に点在し、
かつ個人蔵や海外に保管されているものを蒐集し
足跡が分かるようになっていた。
随分前に、竹橋の近代美術館で、藤田の戦争画を観た。
今回、彼の生涯を知ったなかで、戦争協力とその批判というものが、
フランスに渡る一つの原因にもなっていることが分かった。
天賦の才をそのまま表したような風采。
戦時中だろうか、土門拳の撮影した写真には、
当時にしては稀有な、左手首と薬指に腕時計と指輪の刺青があった。
その写真に風景を見ても、戦時中にその生活を保障するには
ある程度の忍耐が必要だったのでは、と思う。
あるいは、天才が故の無邪気さ、というものがあったのだろうか。
土門の写真の中に移り込んだシッカロールで、
乳白色の肌色ときめ細かい線の秘密が明らかになった。
西欧で称賛された細い線は、日本画のそれと軌を一にするような気がした。
人物画、とくに子供の絵が多く展示されていた。
無表情というか無愛想な表情とともに、
職業を形容した小さな絵には、
子どもの可愛らしさが満ち溢れていた。
その中の一枚が、渡辺謙の娘、杏にとても良く似ていた。
昔、単身パリに乗り込んで修業をしたところをテレビで観たが、
パリの人間にとっては、フジタの絵の面影が重なったのであろうか。