花鳥風月記

流れる水に文字を書く

風立ちぬ

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本日(といっても昨日になってしまったが…)、
宮崎駿長編映画の引退会見なるものがテレビに映っていた。
観に行こうかどうか渋ったが、そんな機会もあって、
豊洲ユナイテッド・シネマに行って観た。

宮崎駿の映画を、おカネを払って観たのは、これが初めて。
テレビで(読売系列が多いが…)何度となく観る機会があった。
全てを見ているわけではないが、今回の映画は、
それまでと明らかに違うように思えた。

見ている人に「夢」だけではなく、「現実」を感じ取ってほしい、
というイメージを感じた。
堀越二郎という実在の人物を描き、
個人の夢と「戦争」を描いた。

と言っても、誰が観ても良いように、細心の注意が払われている。
明らかに、戦争や貧しさ、そして病による「死」に悲惨さを
あえて絵にしない。できなかったのかもしれない。
あるいは、それを描くのは本意ではないのかもしれない。

しかしながら、何かを忘れてきた「国民性」の何かに
訴えかけたい、という印象も感じた。

衣食住が豊かになり、技術においても世界の先進を行き、
不治の病とされた結核も克服できる。
でも、自分たちが生きてきた、あるいは少し前の記憶を残しておいてほしい、
そしてそれを無視しないで欲しいというメッセージを感じた。

そして、アニメの世界だけにいるのではなく、歴史を知り、
今の時代にしっかり生きてほしい、ということを伝えたいのではなかろうか。
こども以上に、大人に対して作られた映画のように思う。

制作まで5年の月日を要したらしい。その間、世の中はどうなっていたのか。
そう思い起こすと、いろいろな見方もあるだろう。

会見では、「これが最後」ということらしいが、
「本当の最後」はもう一つくらいあるような気がする。
原作・脚本・絵コンテとして
「自由になった」立場として制作されるか、
残されるような気がするなあ…。