花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(308) STAP細胞考

なんか新しいモンがでけたらしいが、
ひと月もせんと、あら怪しいゆうて
大騒ぎや。



STAP細胞をめぐる話を要約すれば
きっとこうなるだろう。

元々、ほとんどの人が分からない、この生命科学の神秘?というものを
殊更に論じることは難しいだろう。

しかしながら、
「ないものを、ある」としたり、
「ないものを、ある」ように見せかけたり
「ないものを、ある」と他人のふんどしで語るというのは
どうなのか、というのが今回の騒ぎの中心なのだと思う。

普通に考えて、パソコンが普及していく中で「コピペ問題」は常に言われてきたし、
それを知らない研究者はいないはずである。

ま、分かっていてもやめられなかった、ということもあるのかもしれない。
しかし、科学の分野は内輪で完結するものではなく、
つねに世間と世界の眼に晒されるはずである。
それを知らないでいることは、逆に至難の技でもある。

つまりは、特定の(それがもしかしたら多くの)研究機関が、
その事態を見過ごしているのではないだろうか。
研究のマナーを指弾する声に、内心ビクついている人もいるかもしれない。

例えば、これまでの大学修士論文・博士論文を徹底的に調べて
そういった「論文作法」に悖(もと)るものを、片っ端から処罰してみてはどうだろうか。
酷い場合は、法人認可の取り上げをする。

あるいは、法人認可の継続を条件として、
自己申告(研究者個人または大学が促して)で修士・博士返上をさせる。
その数を世間に公表する。
そうすれば、その大学の研究の「質」が見えてくるかもしれない。

それは研究の内容や技術の是非よりも、人が最低限守らなければならない
常識の有無が分かるだろう。

件(くだん)の割烹着の研究者だが、
もしかして、元々研究が好きではなかったのかなあ、と思ったりした。
好きでないから、ああいうことができたのかもしれないし、
研究で好きで没頭していれば、
壁の色やなんやを、わざわざ塗り替えたりしないしなあ、と…。