草間彌生展 わが永遠の魂
乃木坂の国立新美術館にて。
平日の午後ながら、チケットを買う行列は長かった。
ミュシャ展もあるから、なおさらだろう…。
切符を購入後、屋外に展示されていた彌生カボチャを撮る。
この切符と物販の行列が長いのが印象的だった。
要はスタッフ側の処理が問題なのではなかろうか…。
(お金を扱う人の数が少ない、ということか…)
観る側が楽しめるような展示方法で、
中央にオブジェと壁一面に「わが永遠の魂」の連作を置き巡らせ、
撮影をOKにしていた。みな無心に撮影をしたり、
子どもは駆け回っていた。
それを囲むように初期作品の絵画や映像、
インスタレーションなどを配置した。
こちらは時系列的なまとめかたで、
1950年代の絵画から展示されていた。
初期の頃のネットから、水玉やドットなど
様々な作品を見たが、ただ思うにまかせ、というよりも
その中に精緻さを感じ取った。
何よりも、水玉やドットがほとんど重ならない、
というのも相当な技術がいるだろう。
作者のパッションが伝わっているのか分からないが、
観る側も不思議な世界に接している、という楽しさが
きっとあるのだろう。
平日の午後ながら、チケットを買う行列は長かった。
ミュシャ展もあるから、なおさらだろう…。
切符を購入後、屋外に展示されていた彌生カボチャを撮る。
この切符と物販の行列が長いのが印象的だった。
要はスタッフ側の処理が問題なのではなかろうか…。
(お金を扱う人の数が少ない、ということか…)
観る側が楽しめるような展示方法で、
中央にオブジェと壁一面に「わが永遠の魂」の連作を置き巡らせ、
撮影をOKにしていた。みな無心に撮影をしたり、
子どもは駆け回っていた。
それを囲むように初期作品の絵画や映像、
インスタレーションなどを配置した。
こちらは時系列的なまとめかたで、
1950年代の絵画から展示されていた。
初期の頃のネットから、水玉やドットなど
様々な作品を見たが、ただ思うにまかせ、というよりも
その中に精緻さを感じ取った。
何よりも、水玉やドットがほとんど重ならない、
というのも相当な技術がいるだろう。
作者のパッションが伝わっているのか分からないが、
観る側も不思議な世界に接している、という楽しさが
きっとあるのだろう。