花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (3)

守るべきもの。
「伝統」や「しきたり」は守るためにあるのか、破るためにあるのか。
ラグビー平尾誠二は『勝者のシステム』という著書のなかで、
「『伝統』は何もしていないことと同じ意味だ」と書いていた。
神戸製鋼を7連覇に導いたそのリーダーシップに説得力がある。

「伝統」や「しきたり」は不磨の大典ではない。
但し、新しいのものは、それまでのものを全うしてこそ意味がある。
何でも変えれば良い、というものでもない。
そこには、新・旧入り混じった感情の対立がある。
ではその対立の側面は何だろうか。
一つには、既得権益を守りたいという感情と、新たに既得権益を作りたいという対立。
もう一つには、「伝統」や「しきたり」よる拘束感によって「安心」を得たいという弱い心。
E=フロムのような物言いになってしまうが、
ひとは「自由」であることに、恐怖心を抱くことがある。
それは、「個」としての責任感を逃れ、ある意味従属することの快楽を求めることがある。
人間の心理には「安心」と「安全」に対するベクトルは意外なほど、強い。
また、その心理にはいわれのない差別観も潜むことがある。
老・若・男・女、そして国籍や身体・肌の色まで、「違う」ことによる排斥感と
その排斥を一緒に行っている「共犯関係=安心感」が、悲しい「結」を作ることがある。
「伝統」や「しきたり」を変えていく「何か」を掴むことは、
それまでの「何を」問題点として認識すべきかを見つめ直すことであり、
個人的な思惑を排しながら考えてゆくことが、これから大切なのではないかと思う。

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、
これを継承する。