花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(79) 二つの別れ

人生においてほんの一瞬だけの接点でありながら、
なんとなく記憶に残っていることがある。
それが「別れ」という瞬間に立ち会うことによって、
当時のことが、急に意識の中に鮮明に現れる。

「二つの別れ」とは、川田侃氏と内外学生センター東京学生交流会館。
ほんとうに簡単な説明を加えるとしたら、川田侃氏は、上智大・東大名誉教授。
国際関係論・国際政治経済学というものを日本にもたらした魁のような学者。
内外学生センター東京学生交流会館は、下落合にあった
いわゆる文部省所管の貧乏学生寮で、後に留学生寮や支援団体としての役割を持った。

いずれも接点は、大学生のころ、今後の進路に悩んでいた時期だった。
卒業後の身の振り方について、就職というのもなかなか吹っ切れない時、
大学院進学を考えたことがある。国際関係論に関心があったので、
やはり第一人者に教わるのがもっともと思い、
川田教授にいきなり電話で話を聞いてみたことがある。
今思えば、若気の至り、ということになろうか。

話した内容のほとんどは覚えていない。ただ、聞いた後に後悔したことは
不思議に良く覚えていて、70歳に近くなった先生に
「先生に教わることが出来るでしょうか、健康状態はいかがなのでしょうか」
といったようなことを聞いてしまった。
先生は、「はい、健康状態は非常に良いですよ」と何ともなしに応えて下さった。
当時は、自分もある意味真剣さがあったから聞いたのだとおもうが、
やはり、「人」として後悔はした。

結局、語学と数学と資金が根本的に欠けていることがあり、
大学院は受験しなかった。(諦めの言葉は、故森嶋通夫の本から得た)
17年後、82歳で亡くなられたので、面識のない学生の質問にも、
実行をもって応えてくれたのだと思う。
ご冥福をお祈りしたい。

就職活動の中で、国際交流に関わることを、と考えて受けたのが、
内外学生センターだった。下落合駅前で、空調の効かない、何となく古い建物で、
それでも、黙々と仕事をしている人の姿が印象的だった。ここはあっけなく落ちた。
結局、流れ流れて、高田馬場での仕事になったが、先日、西武線にのったら、
取り壊しの最中で驚いた。しかし、昨年の3月には閉館していたようだった。
ここに就職していたら、今頃どうなっていたのだろう、と考えると
背筋に冬の寒さでない、冷気を感じた。

吹く風は絶えずして、しかももとの空気ではない。
けど、なぜかそこに「残り香」がある。
「五感」は記憶の中からでも感じることがある。