エミリー・ウングワレー展 アボリジニの「ドリーミング」
国立新美術館にて。
モディリアニー展に続いて観る。
プリミティブ・アートつながりかどうかは不明だが、
こちらは、アボリジニ・アート。
人物・肖像画ではなく、作者のイメージ、
それはアボリジニが持つ「ドリーミング」によってなされるもの。
アボリジニの「ドリーミング」については、
以前、保苅実の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(2004年9月刊)を読んで、
強く印象付けられた。
歴史に真摯であること―アボリジニのフィールドワークから得られた経験を元に、
来たるべき歴史学の新境地が見出せるような感覚を得た。
しかし、この本が刊行されたのち、著者は32歳で夭折。
残念でならない。再読してみたい。
今回はそのドリーミングのイメージ空間を知るには好機かと思った。
勿論、ドリーミングには、個々によって、決して一様ではないだろう。
しかしここにある色・形・大きさは、人間の持つイメージの空間を
大小様々なキャンバスによって(イーゼルを使わず、大地において描く)
表現されている。
その存在感に圧倒され、改めてドリーミングに関心が高まった展示だった。
図録2,500円。高いので断念。
モディリアニー展に続いて観る。
プリミティブ・アートつながりかどうかは不明だが、
こちらは、アボリジニ・アート。
人物・肖像画ではなく、作者のイメージ、
それはアボリジニが持つ「ドリーミング」によってなされるもの。
アボリジニの「ドリーミング」については、
以前、保苅実の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』(2004年9月刊)を読んで、
強く印象付けられた。
歴史に真摯であること―アボリジニのフィールドワークから得られた経験を元に、
来たるべき歴史学の新境地が見出せるような感覚を得た。
しかし、この本が刊行されたのち、著者は32歳で夭折。
残念でならない。再読してみたい。
今回はそのドリーミングのイメージ空間を知るには好機かと思った。
勿論、ドリーミングには、個々によって、決して一様ではないだろう。
しかしここにある色・形・大きさは、人間の持つイメージの空間を
大小様々なキャンバスによって(イーゼルを使わず、大地において描く)
表現されている。
その存在感に圧倒され、改めてドリーミングに関心が高まった展示だった。
図録2,500円。高いので断念。