ミス・サイゴン
帝国劇場にて。
ミュージカルはめったに観に行かない。
カテゴリーもないので、「展示会・イベント」にした。
前回の思い出というのは、つかこうへいの「飛龍伝」というもので、
調べたら、1994年だったので、じつに14年ぶり、ということになる。
確か主演は石田ひかりで、当時22歳だったらしい。
その前にも「暴風神父―フライ・トルメンタ」という
神父なのにプロレスラーという筋のミュージカルも観たが、
いつだったか忘れてしまった…。確か映画にもなっていたはず。
さて、今回のミス・サイゴンは、配役が交代制になっていて、
自分が観たのは、筧利夫とソニンの出番のものだった。
当日券ながら、S席で見やすい場所に座れた。会場は月曜だが、ほぼ満席。
念のため、スポーツグラス(双眼鏡)も持っていった。正解だった。
しかし、13,500円は高いなあ…。(3連休、旅行に行ったつもりで…)
かつては本田美奈子が演じていたことは知っていた。
当時観に行ったわけではないが、
要所要所で「こんな風に歌っていたんだろうなあ」と感じられた。
それは、キム役のソニンに負うところが大きい。
想像以上に歌声が出ていた。勿論、今までの歌い方のクセが残った感じも
あったが、ハイトーンは、努力によって得られた力強さがあった。
数多く観たわけではないが、良い公演であったと思う。
ミス・サイゴンのストーリー自体は、何となく分かっていたものの、
課題があるとするならば、もう「古典」のカテゴリーになりつつあること。
例えば戦争孤児(米軍兵士との混血児)のくだりは、もう手直しが必要だろう。
「当時の脚本の再現」も表現の重要な手法のひとつではあるけれど、
もう、おそらくその孤児たちは30代を迎えているはず。
今はそれよりも映画「花はどこへ行った」にあるような、枯葉剤などによって
世代を超えた戦争の傷跡について、再度解釈を改めるべきではないか?
オーケストラの演奏、歌に圧倒されつつも、華やかに幕は閉じた。
カーテンコールが幾度となく繰り返され、観客は沸いていたが、
主演のソニンは、どことなく浮かない顔だった。
やはりプレッシャーがきついのかなあ、と思った。
終わったあとの表情を知るのも、映画にはないことだ。
ミュージカルはめったに観に行かない。
カテゴリーもないので、「展示会・イベント」にした。
前回の思い出というのは、つかこうへいの「飛龍伝」というもので、
調べたら、1994年だったので、じつに14年ぶり、ということになる。
確か主演は石田ひかりで、当時22歳だったらしい。
その前にも「暴風神父―フライ・トルメンタ」という
神父なのにプロレスラーという筋のミュージカルも観たが、
いつだったか忘れてしまった…。確か映画にもなっていたはず。
さて、今回のミス・サイゴンは、配役が交代制になっていて、
自分が観たのは、筧利夫とソニンの出番のものだった。
当日券ながら、S席で見やすい場所に座れた。会場は月曜だが、ほぼ満席。
念のため、スポーツグラス(双眼鏡)も持っていった。正解だった。
しかし、13,500円は高いなあ…。(3連休、旅行に行ったつもりで…)
かつては本田美奈子が演じていたことは知っていた。
当時観に行ったわけではないが、
要所要所で「こんな風に歌っていたんだろうなあ」と感じられた。
それは、キム役のソニンに負うところが大きい。
想像以上に歌声が出ていた。勿論、今までの歌い方のクセが残った感じも
あったが、ハイトーンは、努力によって得られた力強さがあった。
数多く観たわけではないが、良い公演であったと思う。
ミス・サイゴンのストーリー自体は、何となく分かっていたものの、
課題があるとするならば、もう「古典」のカテゴリーになりつつあること。
例えば戦争孤児(米軍兵士との混血児)のくだりは、もう手直しが必要だろう。
「当時の脚本の再現」も表現の重要な手法のひとつではあるけれど、
もう、おそらくその孤児たちは30代を迎えているはず。
今はそれよりも映画「花はどこへ行った」にあるような、枯葉剤などによって
世代を超えた戦争の傷跡について、再度解釈を改めるべきではないか?
オーケストラの演奏、歌に圧倒されつつも、華やかに幕は閉じた。
カーテンコールが幾度となく繰り返され、観客は沸いていたが、
主演のソニンは、どことなく浮かない顔だった。
やはりプレッシャーがきついのかなあ、と思った。
終わったあとの表情を知るのも、映画にはないことだ。