花鳥風月記

流れる水に文字を書く

天安門、恋人たち

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渋谷イメージフォーラムにて。
中国国内での上映が禁止され、上映されたヨーロッパでは
高い評価を受けた、とのこと。
ただ、パンフレットの映画評が米国に偏っているのは
ちょっといやだなあ、と思った。

映画の題にあるように天安門事件を扱うということもあろうが、
特に政治的な問題点は感じられない。
(原題は「頤和園」という広場か何かを表す)
むしろ「R-18」の指定があったような描写に問題があったのか。
まあ、そんなに取り立てて露骨な描写ではなかったと思うが…。
(ところで「R-18」と「18禁」は、同じ意味なのだろうか…)

ストーリーは、地方から北京の大学に通うため「上京」した主人公が、
エネルギー溢れる学生生活のなかで、恋愛に傷つき、学生運動に翻弄とされ、
恋人との別れによって、止まり木のない人生を歩み続けているところを描写している。

「1978年、冬」にも感じたが、ストーリー展開が時間・空間とも局地的で、
その分濃いが、その他のサイドストーリーというか、時間の流れが若干無頓着。
これは「大陸的」と解釈すべきか…。

それにしても、ここでの登場人物との年代が自分と合致する。
1989年の天安門事件の頃、自分も大学生だった。
中国の学生デモが盛んだった5月、イカ天の特番「アマバン博」で、
ファビュラスというバンドの曲の最中に緊急速報のテロップが流れた。
その時のビデオがあったので、たまに見る時に思い出す。
あの時のことが映画になっているのかと思うと驚きもある。

映画を観ていて、設定は創作ではあるものの、
「なんだ、中国の方が大学生活は楽しそうだなあ」と思ってしまった。
映画監督も、同時代の人間で、おそらく自身の学生生活の中で
恋愛・運動・挫折というのが、宝物のような想い出に
なっているのだろうなあ、と感じられた。
学生運動というのも、きっと何かの連帯感が、若さとしての「つながり」でも
あったのかもしれない。

そう考えると、この日本の大学生、というか若者が集うのは…。
まあ、音楽やスポーツの「非政治性」という「政治性」がそこはかとなく感じる
今日このごろだったりする。