花鳥風月記

流れる水に文字を書く

日本国憲法百景 (72)

寛容であること・赦されること

もう、20年も前になるから、記憶は定かではないが、
昭和天皇から、現在の天皇になったときに、
特赦・恩赦を拒んだ人がいたそうだ。
実際に拒めたかどうかわからないが、
この「赦されること」に対し、思うことがある。

個人的には「寛容」という言葉が嫌いである。
なぜなら、「寛容」は無関心の裏返しでもあるから。
一方的な「優しさ」を人は求めていない。
また、一方的な「優しさ」を押し付けることで、
押し付けた側の免罪符になっても意味がない。
また、現実逃避となっても意味がない。
一方的な「優しさ」は時に人を傷つける。

何か「あったこと」を乗り越えるのは、
その「あったこと」を忘れ去るのではなく、
各々が「心に刻み・思いを馳せる」ことではないだろうか。

勿論、決して易しいことではないが、
だからこそ、その「重み」を感じて
耐えていかなければならないのではないだろうか。

良かれと思って人に対するふるまいは、難しい。
「寛容であること・赦されること」とは、
人を対峙する時の鏡となるのではあるまいか。

第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
    一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
    二 外交関係を処理すること。
    三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、
      国会の承認を経ることを必要とする。
    四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
    五 予算を作成して国会に提出すること。
    六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。
      但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、
      罰則を設けることができない。
    七 大赦、特赦、減刑刑の執行の免除及び復権を決定すること。