荒木経惟 KOSHOKU PAINTING
表参道のRAT HOLE GALLERYにて。
写真とペインティングの合作というのは、たまに見かける。
もっともペインティングは「絵」というより、写真の世界を
破断するというか分解するような役割のようだ。
写真そのもの自体は、光学的、または最近では電子的な
緻密かつ規則的に並べられた秩序のなかで表出される。
ある意味、無秩序を表現しようとしても、
整然としたコマンド(命令)の中から生まれてしまう。
それをラッダイト(打ち壊す)試みのような気がする。
荒木作品なので、猥雑な写真が並ぶ。
まあ、受け入れるには勇気が要りそうなものが多い。
ペインティングは暴力的ではある。
原色の塗料を刷毛にのせ、感じるままに、といった印象。
ただし、所々ラメが入っていたり、被写体の表情が見えるように、
手で塗料を拭いた形跡もある。バラバラなようでいても計算はあるらしい。
また、手を回して円形を描いた部分を辿ると、
荒木の背格好が容易に想像できる。
空の写真に「空」と書き込んでいるが、
「そらのなかにあながある」と言いたげな作品だった。
それを見たとき、学校の教科書にあった三好達治の詩のなかで、
「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。
そして母(mere)よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海(mer)がある。」
という言葉を思い出した。
写真とペインティングの合作というのは、たまに見かける。
もっともペインティングは「絵」というより、写真の世界を
破断するというか分解するような役割のようだ。
写真そのもの自体は、光学的、または最近では電子的な
緻密かつ規則的に並べられた秩序のなかで表出される。
ある意味、無秩序を表現しようとしても、
整然としたコマンド(命令)の中から生まれてしまう。
それをラッダイト(打ち壊す)試みのような気がする。
荒木作品なので、猥雑な写真が並ぶ。
まあ、受け入れるには勇気が要りそうなものが多い。
ペインティングは暴力的ではある。
原色の塗料を刷毛にのせ、感じるままに、といった印象。
ただし、所々ラメが入っていたり、被写体の表情が見えるように、
手で塗料を拭いた形跡もある。バラバラなようでいても計算はあるらしい。
また、手を回して円形を描いた部分を辿ると、
荒木の背格好が容易に想像できる。
空の写真に「空」と書き込んでいるが、
「そらのなかにあながある」と言いたげな作品だった。
それを見たとき、学校の教科書にあった三好達治の詩のなかで、
「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。
そして母(mere)よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海(mer)がある。」
という言葉を思い出した。