蜷川実花展 ―地上の花、天上の色―
初台にある東京オペラシティアートギャラリーにて開催。
初期の作品から、最新作まで、500点を一気に展示している。
最初から、色の鮮やかさに若干の「酔い」が回る。
決して悪い「酔い」ではない。
原色の持つ鮮やかな攻撃力を最大限に活用している。
写真のなかで良く使われる金魚(らんちう)は、写真を構成する曲線や円など、
従来の女性に代わるあらたな表象なのではないかなあ、と思った。
但し、そこには、人間の「造形」によって得られたという
冷めた視線も含んでいるような気がする。続いて展示された
造花の写真も、その延長線にあるように思えた。
蜷川の写真は、自己内に表現のマグマを滾(たぎ)らせているようだ。
そのエネルギーに被写体が感化され、術中に嵌るのか。
ただ、決して自己満足ではなく、ポートレートを見ていると
無難に仕事をしたものも散見する。
傑作に思えたのは、井川遥の写真。
蜷川の思惑と、本人の艶が見事に一致していた。
あまり目立って評価されていない一枚かもしれないが、
個人的には一番ゾクッと来た。
やっぱ、写真で頑張れ蜷川実花、と思った。
初期の作品から、最新作まで、500点を一気に展示している。
最初から、色の鮮やかさに若干の「酔い」が回る。
決して悪い「酔い」ではない。
原色の持つ鮮やかな攻撃力を最大限に活用している。
写真のなかで良く使われる金魚(らんちう)は、写真を構成する曲線や円など、
従来の女性に代わるあらたな表象なのではないかなあ、と思った。
但し、そこには、人間の「造形」によって得られたという
冷めた視線も含んでいるような気がする。続いて展示された
造花の写真も、その延長線にあるように思えた。
蜷川の写真は、自己内に表現のマグマを滾(たぎ)らせているようだ。
そのエネルギーに被写体が感化され、術中に嵌るのか。
ただ、決して自己満足ではなく、ポートレートを見ていると
無難に仕事をしたものも散見する。
傑作に思えたのは、井川遥の写真。
蜷川の思惑と、本人の艶が見事に一致していた。
あまり目立って評価されていない一枚かもしれないが、
個人的には一番ゾクッと来た。
やっぱ、写真で頑張れ蜷川実花、と思った。