ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家
横浜美術館にて。今回、初めて行く。
桜木町から徒歩15分、とHPに記載されていたが、
そんなにはかかっていない気がする。
もっともランドマークタワーをぼんやりと見ながらだったから、
時間を意識していなかったこともある。
しかし、ランドマークタワーも、もう20年くらいだろうか。
いかにメンテナンスをしようとも、排気ガスや潮風で壁はくすんでいる。
赤プリみたいに縮む解体工事とかしたら、面白そうだなあ、と
思ってしまった。
ロバート・キャパは周知の写真家だが、
ゲルダ・タローは初めて。
女性というのも初めて知った。
アンドレ・フリードマンとゲルダ・ポホリレ
この二人がロバート・キャパとゲルダ・タローとして世に出た。
ちなみに「タロー」は共通の友人の岡本太郎から名を取ったらしい。
ロバート・キャパのパートナーであり、
やがて世に出る写真「崩れ落ちる兵士」が撮られた
スペイン内戦に同行した戦場カメラマンであった。
その当時は、女性の社会参画の運動があり、
戦場にも女性の姿が出始めた。
ゲルダは、その社会参画の一翼を担う存在として、
戦場写真の現場でも、受け入れられていた。
二人は行動を共にし、写真を撮った。
明確なクレジットはないが、ゲルダの写真は使っていた写真機によって、
正方形のプリントが多かったことで分けられている。
それだけでなく、二人の写真にはどことなく違いが感じられた。
ゲルダ・タローの写真は、直截的なメッセージ性に富むものであった。
若く、そして女性であればこそ、躊躇なく、ダイレクトに伝わるものを優先していた。
一方で、ロバート・キャパの写真は、彼女よりも活動期間が長いということもあるが、
写真そのものにナラティブ(物語)があるように思えた。
福岡伸一がかつてフェルメールを「光の微分法」という言葉で
形容したことになぞらえば、ロバート・キャパのそれは
「時間の微分法」と言えるのではないか、と思った。
ゲルダ・タローはその後、スペイン内戦のなかで、
戦車に轢かれて、27歳で亡くなった。
今回の展示も、そのわずか数年で撮られた写真と、
ロバート・キャパの生涯にわたって撮影した写真が並べられていた。
それは単にキャパの付録、というよりも、
キャパには切っても切れない「メモワール(回想)」としての位置づけであろう。
そのせいか、図録も二人で別々に売られていたが、
おそらく皆セットで買っていくのだろう。
桜木町から徒歩15分、とHPに記載されていたが、
そんなにはかかっていない気がする。
もっともランドマークタワーをぼんやりと見ながらだったから、
時間を意識していなかったこともある。
しかし、ランドマークタワーも、もう20年くらいだろうか。
いかにメンテナンスをしようとも、排気ガスや潮風で壁はくすんでいる。
赤プリみたいに縮む解体工事とかしたら、面白そうだなあ、と
思ってしまった。
ロバート・キャパは周知の写真家だが、
ゲルダ・タローは初めて。
女性というのも初めて知った。
アンドレ・フリードマンとゲルダ・ポホリレ
この二人がロバート・キャパとゲルダ・タローとして世に出た。
ちなみに「タロー」は共通の友人の岡本太郎から名を取ったらしい。
ロバート・キャパのパートナーであり、
やがて世に出る写真「崩れ落ちる兵士」が撮られた
スペイン内戦に同行した戦場カメラマンであった。
その当時は、女性の社会参画の運動があり、
戦場にも女性の姿が出始めた。
ゲルダは、その社会参画の一翼を担う存在として、
戦場写真の現場でも、受け入れられていた。
二人は行動を共にし、写真を撮った。
明確なクレジットはないが、ゲルダの写真は使っていた写真機によって、
正方形のプリントが多かったことで分けられている。
それだけでなく、二人の写真にはどことなく違いが感じられた。
ゲルダ・タローの写真は、直截的なメッセージ性に富むものであった。
若く、そして女性であればこそ、躊躇なく、ダイレクトに伝わるものを優先していた。
一方で、ロバート・キャパの写真は、彼女よりも活動期間が長いということもあるが、
写真そのものにナラティブ(物語)があるように思えた。
福岡伸一がかつてフェルメールを「光の微分法」という言葉で
形容したことになぞらえば、ロバート・キャパのそれは
「時間の微分法」と言えるのではないか、と思った。
ゲルダ・タローはその後、スペイン内戦のなかで、
戦車に轢かれて、27歳で亡くなった。
今回の展示も、そのわずか数年で撮られた写真と、
ロバート・キャパの生涯にわたって撮影した写真が並べられていた。
それは単にキャパの付録、というよりも、
キャパには切っても切れない「メモワール(回想)」としての位置づけであろう。
そのせいか、図録も二人で別々に売られていたが、
おそらく皆セットで買っていくのだろう。