写真家 チェ・ゲバラが見た世界
恵比寿のガーデンホールにて。
久々に行ったが、こんなホールがあったとは知らなかった。
もっとも、何かの転用のような感じで、物販スペースは
ほぼ倉庫のような場所だった。
それでいて、入場料千円、プログラム4千円。映像USB3千円。うは…。
没後50年を迎えるが、革命家チェ・ゲバラの人気・知名度は
衰えることがなく、今でも若者のアイコンと化している。
きっと好きなミュージシャンや文化人が好むことで感化されているのだろう。
日曜日にいったせいか、入場制限がかかり、30分ほど待った。
ゲバラは裕福な家庭(一説にはお金のないインテリ家庭とも)で育ち、
早くから母語スペイン語ほかにフランス語にも触れ、
カメラも手にするようになった。原動付き自転車での旅行や
友人との大型バイク「ポデローサ(怪力)」を駆った
「モータサイクル・ダイヤリーズ」のような旅もした。
キューバ革命後、外交特使として、世界をまわり、
やがてキューバを辞して世界革命を目指し、
南米で命を奪われるまで、カメラを持っていたようだ。
この企画は、革命家チェ・ゲバラを「写真家」として、
展示がなされていた。
最初のメキシコあたりの写真は、正直に言えば「観光写真」だ。
ただ、嘱託で従事した、スポーツ大会の写真は、まさにプロのそれだった。
恐らく、カメラの使い方も様々な用途があったのだと思う。
キューバ国内の写真はどことなく「資料的」だったと思う。
ただ、セルフ・ポートレイトは何度も撮っていて、
カメラを愛し、楽しんでいたことは窺えた。
ゲバラが処刑される前にも4本ほどの撮影済フィルムがあったが、
それはまだ米国情報機関によって秘密にされているようだ。
50年を期に公開されたらなあ、と思う。
久々に行ったが、こんなホールがあったとは知らなかった。
もっとも、何かの転用のような感じで、物販スペースは
ほぼ倉庫のような場所だった。
それでいて、入場料千円、プログラム4千円。映像USB3千円。うは…。
没後50年を迎えるが、革命家チェ・ゲバラの人気・知名度は
衰えることがなく、今でも若者のアイコンと化している。
きっと好きなミュージシャンや文化人が好むことで感化されているのだろう。
日曜日にいったせいか、入場制限がかかり、30分ほど待った。
ゲバラは裕福な家庭(一説にはお金のないインテリ家庭とも)で育ち、
早くから母語スペイン語ほかにフランス語にも触れ、
カメラも手にするようになった。原動付き自転車での旅行や
友人との大型バイク「ポデローサ(怪力)」を駆った
「モータサイクル・ダイヤリーズ」のような旅もした。
キューバ革命後、外交特使として、世界をまわり、
やがてキューバを辞して世界革命を目指し、
南米で命を奪われるまで、カメラを持っていたようだ。
この企画は、革命家チェ・ゲバラを「写真家」として、
展示がなされていた。
最初のメキシコあたりの写真は、正直に言えば「観光写真」だ。
ただ、嘱託で従事した、スポーツ大会の写真は、まさにプロのそれだった。
恐らく、カメラの使い方も様々な用途があったのだと思う。
キューバ国内の写真はどことなく「資料的」だったと思う。
ただ、セルフ・ポートレイトは何度も撮っていて、
カメラを愛し、楽しんでいたことは窺えた。
ゲバラが処刑される前にも4本ほどの撮影済フィルムがあったが、
それはまだ米国情報機関によって秘密にされているようだ。
50年を期に公開されたらなあ、と思う。