花鳥風月記

流れる水に文字を書く

TOKKO―特攻―

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渋谷シネ・ラ・セットで観る。
この映画館も、そのビルの主役とは言えず、奥に30席程度の固定シートと
前方に大小様々なソファやパイプ椅子が並べられていた。
最大60人は入れそうか…。何か手作り感覚で良い感じもする。
こういった映画館は、4年ほど前、横浜伊勢崎町の松坂屋?(昔「ゆず」が路上で演っていたところ)
にも似たようなのがあった。本当にビルの一室を応急的に使ったような感じのところで、
たしかノーム・チョムスキーのドキュメンタリーを観た。

TOKKO―特攻―』は、日系アメリカ人のリサ・モリモトが、自分の叔父が特攻隊員だったことを
知ったことから、当時の特攻隊員の生存者の話を聞きながら、狂気の沙汰ともいわれた
「KAMIKAZE」についてその本質を追ってゆくドキュメンタリー。
最近、戦争に対する映画、特に美化されているような風潮のなか、単なる批判的視点ではなく、
また日・米どちらの側に付くということではなく、「日系」といういわば中立的な立場で
ひとりひとりの「人間」としてその時代状況と生きる姿を理解しようと試みている。

特に近年の「自爆テロ」の源流とも目される「特攻精神」というのも、追い詰められた
時代状況下で、やむなく特攻機に乗り込んだ4,000人の若者の涙が見て取れる。
生き残った人のインタビューのなかで、父と子の会話で父親が「生きて返ってこい」
という証言を急に英語で話しだしたのは、やはり、当時のことを決して口にしない・したくない
という心の表れなのかもしれない。
ジョン・ダワーが、「生と死を選ぶのではなく、どう死ぬかを迫られていた」というように、
その日をまだ成人もしない若者が待ち受けた重圧は想像で測ることは難しい。
そして決して「死ぬ」ということが美化してはならないこと、というのが、生き残った人たちの
思いであり、その先の「戦争」「殺し合い」は決して起こしてはならない、というのがメッセージ
として残された。

「歴史」を知る意味では、良い映画であった。しかし原題が「Wings of Defeat(敗北の翼)」
だったものが、なぜ「TOKKO―特攻―」になってしまったのか、それが気がかりだった。