花鳥風月記

流れる水に文字を書く

ルネッサンス

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渋谷のシネセゾン渋谷にて。
渋谷には映画館が結構あるものの、時代の流れで明らかに「主役」ではないところもある。
シネセゾン渋谷も、言い方によってはパチンコ屋の6階にある。
モワ~っとするタバコの臭いを横目にエレベーターに乗らなければならない。

時間が少し空いたので、喫茶店で時間を潰す。並びのビル地下にある「トップ」。
ここの新宿店には昔行った事がある。時にはコーヒーのサービスで落花生がついてきた。
(なんかそれをわざわざ床にこぼしていた様な記憶が…。確か掃除の一環?)
今も同じか聞いてみたら、10月と11月のサービスデーで出しているそうだ。
次のサービスデーは8月1日で、花火がサービスされるらしい。まさか店内ではできないだろう。

前置きが長くなったが、映画は、モノクロのアニメ映画。たまたまyahooブログの背景にも
設定があったので、変更してみた。
モノクロといっても、あまり中間色である灰色の設定は少なく、白黒のコントラストが強い、
それゆえ線のメリハリが利き、結果「暗い」設定になっている。でもこの暗さは、好き。
限られた配色のなか、ステルス服を身につけた用心棒や、地下道など、目に見えない・暗い
というのを野心的に表現しているのが興味深かった。恐らく時間をかけてどう表現すべきか、
という努力は相当なものだったのだろう。
また、フランス・イギリス・ルクセンブルクの映画で、台詞が英語、というのも、多くの人が
その精緻さを見て欲しい、ということの表れなのかもしれない。唇の動きがまさにそのとおりの
動きだった。何かその対比にあるのが、昔の「サンダーバード」なのかもしれないが、あれはあれで、
糸で吊られた人形が、同じ口のパクパクと、目のパチパチで、いわんとすることが分かった。
人間の感性は不思議なものである。

ストーリーは、科学者の誘拐をきっかけに、一警部が、その救出に乗り出し、命を賭して
巨悪に立ち向かうという設定。要するに、いつもどこかで出てきそうなパターンだった。
「不死」に対する渇望、というのも、普遍的なテーマであるが、その神秘性や寓話性
といったものが欠け、少しもの足りない。ちょっと浅い。
子どもの書く絵にはカラーになっていたのも、何か意図することがあったのかもしれないが、
良く分からなかった。
バイオレンスはあったが、「血」の表現が乏しかった。だから人の表現がどこか無機的だった。
モノクロで血の表現といえば、アンジェイ・ワイダの「灰とダイアモンド」のラストシーンで、
主人公マチェクが、銃で撃たれながらも逃げ惑い、最後は病院かどこかの物干しが並ぶ場所で、
干している真っ白なシーツを血で汚しながら倒れてゆく、というのが、秀逸だった。
そのシーンをパクったのが、梅宮辰夫の「高校生番長」シリーズらしいのだが、
残念ながら、自分はそのシーンをまだ見たことがない。