花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(168) 100円の差はいかなるものか

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最近は、「100円の差」にあまり重みがない。
昔ならば、缶ジュース1本分、という勘定が成り立ったが、
今は100円であることが珍しい。

西葛西「末っ子」に久々に行く。
深夜に食べに行かなくなり、やや足が遠のいた感もあったが、
先日、昼飯を食い損ね、帰りに寄った。

餃子がついに400円になっていた。つまりは1個80円。
この店ではラーメン500円。
餃子が有名といっても、ちょっと高くなりすぎじゃないかと思う。

餃子一皿だけ食べに来る人は、そうはいない。
ライスを頼んだら、きっと餃子一皿では持たないので、
リャンガン以上いくだろう。

となると、ラーメンで折り合わせを付けるか、
野菜炒め(これはボリュームがある)に走るかで、
餃子の「負のスパイラル」が起きはしないか…。

餃子焼きの人がどことなく手持ち無沙汰だったのも頷ける。
結局、餃子・ビール・炒飯で1,600円くらいだった。
晩御飯ならまあ、いっか、と思うが、昼ならちょっと厳しい。

餃子とラーメンの100円の差はけっこう重い。