顔のないヒトラーたち
有楽町のヒューマントラストシネマにて。
水曜日が1,100円で見られるサービスデーとあって、
年配者で館内がごったがえしていた。
ほぼ満席のため、最前列にて観ることとなった。
時代は第二次世界大戦後、20年経った西ドイツ。
今でこそアウシュビッツは世界に知られていたが、
当時は存在すら公にされず、知っている人間は口を閉ざされていた。
「戦後」とは、体制が変わりつつも、
そこに生きる人間がすべて入れ替わったわけではなく、
誰もが過去の「あやまち」を認めず、隠しながら生きていた。
交通違反を処理している、まだ駆け出しの若手地方検察官が、
ふとしたきっかけで、ナチの大罪に迫るという
ドキュメンタリーに近い映画だった。
「もう20年も前のことだ、忘れろ」
20年でさえ、それもドイツでこんな言葉が交わされている。
加害者個人の記憶としては昔かもしれないが、
被害者個人、いや国家の記憶としては生々しい。
地方検察官は、アウシュビッツの生き残りの人々の証言をまとめながら、
自分の国がかつて犯した残虐な過去に苦しめられ、
身の回り、そしてわが身の親族まで、その残影があることに
自暴自棄に苛まれることもあった。
しかし、ようやくフランクフルトの法廷で、裁判が始まり
以後はナチの戦争犯罪を徹底追及することとなった。
最初は個人の勇気が、だんだんと協力者が増え、大きな流れとなる。
戦後70年経った日本にも、大いに問題提起となろう。
なお原題は「沈黙の迷宮の中で」だそうだ。
邦題は確かに言いえて妙な部分もあるが、
ずいぶんと上から目線なつけかたに違和感があった。
それをお前が言えるのか、と。
水曜日が1,100円で見られるサービスデーとあって、
年配者で館内がごったがえしていた。
ほぼ満席のため、最前列にて観ることとなった。
時代は第二次世界大戦後、20年経った西ドイツ。
今でこそアウシュビッツは世界に知られていたが、
当時は存在すら公にされず、知っている人間は口を閉ざされていた。
「戦後」とは、体制が変わりつつも、
そこに生きる人間がすべて入れ替わったわけではなく、
誰もが過去の「あやまち」を認めず、隠しながら生きていた。
交通違反を処理している、まだ駆け出しの若手地方検察官が、
ふとしたきっかけで、ナチの大罪に迫るという
ドキュメンタリーに近い映画だった。
「もう20年も前のことだ、忘れろ」
20年でさえ、それもドイツでこんな言葉が交わされている。
加害者個人の記憶としては昔かもしれないが、
被害者個人、いや国家の記憶としては生々しい。
地方検察官は、アウシュビッツの生き残りの人々の証言をまとめながら、
自分の国がかつて犯した残虐な過去に苦しめられ、
身の回り、そしてわが身の親族まで、その残影があることに
自暴自棄に苛まれることもあった。
しかし、ようやくフランクフルトの法廷で、裁判が始まり
以後はナチの戦争犯罪を徹底追及することとなった。
最初は個人の勇気が、だんだんと協力者が増え、大きな流れとなる。
戦後70年経った日本にも、大いに問題提起となろう。
なお原題は「沈黙の迷宮の中で」だそうだ。
邦題は確かに言いえて妙な部分もあるが、
ずいぶんと上から目線なつけかたに違和感があった。
それをお前が言えるのか、と。