花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(112) 筑紫哲也氏を偲んで

今月7日に、筑紫哲也氏が肺がんで亡くなられた。享年73歳。
今日(というか昨日)、TBSで追悼番組をやっていた。
18年半という歳月が、何となく一緒に過ごしてきたような錯覚になり、
胸に迫るものがあった。

個人的な接点は殆どないのだが、
講演会というカタチで話を3回くらい聞いたことがある。
最初はNEWS23が始まるずっと前のこと。
高校生、もしくは中学生だったかもしれない。
確かTVドキュメンタリーの映像祭か何かで、副題は「地方の時代」だった。
そのとき、「総評」というかたちで登壇していた。
場所はたしか有楽町マリオンだったと思う。
そんな昔の話では、内容は殆ど覚えていないものの、唯一、記憶にあるのが、
インタビューの最中、都合の悪い質問になったら、
「これはちょっと…」と当惑した表情を見せたシーンの作品があって、
「これがテレビの持つ鋭さ(強さ)です」と言っていた。

2回目は、三軒茶屋二子玉川で行われた、パネルディスカッション。
たしかポーランドの映画をテーマにしたものだった。
確か西武系列のビルで行われ、映画を2本観たあと、話になった。
ちなみに映画は、アンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」も見た。
その映画の最後のシーンが、主人公が深手を追いながら逃走し、
最後は、シーツを沢山干してあるところで、そののシーツを
血で汚しながら息絶える、というものだった。
モノクロ映画のなかで、色を意識させる設定としては秀逸なものだったが、
これを日本でマネたのが、梅宮辰夫の「高校生番長」だった、とのこと。
また、ポーランドの「連帯」のワレサ委員長を
正確には「ワレンサ」と呼ぶらしく、たしかにTVでもそう呼んでいた。

3度目は確か週刊金曜日の創刊集会だと思う。(これはかなり曖昧)
ジャーナリズムは、川の流れのようなもので、
クオリティメディアが上流だとすると、
雑誌やTVというのは下流であって、ただ扱うものは
どんどん流れてくる、といったような話をしていたと思う。
そこでは、筑紫氏の著作を購入した。
良く売られている当時の最新刊ではなく、
少し古い70年代をテーマにしていた本を4冊ほど買った。
1冊ずつに筆ペンでかかれた達筆なサインが入っていた。
昔の本の方が、自由奔放に書いていたので面白かった。

筑紫哲也は滅多には死なない、と思っていた。
なんか根拠のない感じもするが、それこそホメイニ師と同じような感じだった。
だからこそ、氏の訃報を知ったときは、意外という感情の方が強かった。
正論を語り、文化・教養を重んじる。
まさに花鳥風月を慈しむ人だったと思う。
やはり寂しいものである。

追悼番組の最後は井上陽水の「最後のNEWS」だったが、
これも、かつてテレビ朝日でやっていた「こちらデスク」の最終回、
TBSの「報道特集」と回線を結んで歌われた「ジェラシー」と
記憶がオーバーラップした。

朝日ジャーナルの頃も考えると、思いは尽きない。
多感な時期に多くのことを学んだ、ジャーナリストの一人であったと思う。

ご冥福を祈りたいと思う。