御厨 貴 『オーラル・ヒストリー』
2月は、わりと多忙なこともあり、読書は進まず。
やっと読み終えた一冊。
2002年刊行なので、7年前の著作。
「オーラル・ヒストリー」という言葉を初めて目にしたのは、
本多勝一の南京大虐殺に関する裁判資料の本を読んだ時だった。
その時の脚注にあり、あまり好意的な評価ではなかったような記述だったような気がする。
その後、歴史学の新たな方法論という形で注目されているという認識を持つ。
以前、保苅実の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』に強く感銘を受けた。
今回の著作は、それとは一線を画すような、政治学的なアプローチによるものだった。
今までの仕事から培われた方法論や、結果などが詳細に書かれていた。
第4章の「オーラル・ヒストリー・メソッド」は、
インタビューやジャーナリズムにも通底するような示唆に富む内容だった。
ただ、地道な仕事柄が、文章にもあらわれ、やや退屈感も禁じえなかった。
おそらく、発展し続けていく学問分野かと思うので、
様々なアプローチの可能性も示唆している。
その意味で、近刊に触れると、きっとそれが見えてくるのではあるまいか。
テープ起こしについては、今まで2度経験がある。
1度目は、大学で行った著名な経済学者の講演会の起こし。
当時はテープ録音で、ウォークマン片手に必死に起こした。
それをその教授に直しをお願いした。
良心的な先生だったので、詳細に赤入れをしていただいたが、
「ふうふう言いながらやりました」とのコメントがあった。
確かに大変だったんだろうなあ、と思った。
2度目は、友人が行ったインタビューの起こし。
MDに入ったもので、当時MDを使ったこともデッキもなかったので
わざわざ買った。それもピッチ調整もできる4万円という個人的には
高額なものにした。
既に会社勤めをしていたので、帰宅後1~2時間を使ったが、結構かかった。
5本預かって、1本分(大体1時間半くらい)をワードに打ち込んで送った。
お礼は、カレンダーと当時まだ珍しかったオーガニック・チョコだった。
残り4本は、そのまま作業が止まってしまった。
記録は残すのに多大な労力を要するなあ、と思う反面、
音声で残っているものは、確かに言った・言わないの保険にはなるが、
必ずしも正確な状況を語っているものではない、
ということが、本書から伺えた。(145ページ「テープ起こしと速記」)
確かにテープ等の媒体に頼ることが、その時の「記録しよう」という
モチベーションの低下を招くことはありそうな気がする。
むしろ、メモをとることで、記録者の記憶の連繋(リンケージ)に
束ねていたほうがいいのかもしれない。
但し、個人差のあるこの手段では、その事実の「編集」に
個人の思想が反映される惧れもある。
歴史を「正しく」見る、というのは、本当に難しいことかもしれない。
今回の本は、官僚や政治家等の為政者による、その政策過程・舞台裏のような
意味合いが強いが、勿論「聞き取り」という手法は、
「声なき声」を拾うことにも大きな意味を持つ。
オーラル・ヒストリーは、今後、ますます重要な分野であることは間違いない。
やっと読み終えた一冊。
2002年刊行なので、7年前の著作。
「オーラル・ヒストリー」という言葉を初めて目にしたのは、
本多勝一の南京大虐殺に関する裁判資料の本を読んだ時だった。
その時の脚注にあり、あまり好意的な評価ではなかったような記述だったような気がする。
その後、歴史学の新たな方法論という形で注目されているという認識を持つ。
以前、保苅実の『ラディカル・オーラル・ヒストリー』に強く感銘を受けた。
今回の著作は、それとは一線を画すような、政治学的なアプローチによるものだった。
今までの仕事から培われた方法論や、結果などが詳細に書かれていた。
第4章の「オーラル・ヒストリー・メソッド」は、
インタビューやジャーナリズムにも通底するような示唆に富む内容だった。
ただ、地道な仕事柄が、文章にもあらわれ、やや退屈感も禁じえなかった。
おそらく、発展し続けていく学問分野かと思うので、
様々なアプローチの可能性も示唆している。
その意味で、近刊に触れると、きっとそれが見えてくるのではあるまいか。
テープ起こしについては、今まで2度経験がある。
1度目は、大学で行った著名な経済学者の講演会の起こし。
当時はテープ録音で、ウォークマン片手に必死に起こした。
それをその教授に直しをお願いした。
良心的な先生だったので、詳細に赤入れをしていただいたが、
「ふうふう言いながらやりました」とのコメントがあった。
確かに大変だったんだろうなあ、と思った。
2度目は、友人が行ったインタビューの起こし。
MDに入ったもので、当時MDを使ったこともデッキもなかったので
わざわざ買った。それもピッチ調整もできる4万円という個人的には
高額なものにした。
既に会社勤めをしていたので、帰宅後1~2時間を使ったが、結構かかった。
5本預かって、1本分(大体1時間半くらい)をワードに打ち込んで送った。
お礼は、カレンダーと当時まだ珍しかったオーガニック・チョコだった。
残り4本は、そのまま作業が止まってしまった。
記録は残すのに多大な労力を要するなあ、と思う反面、
音声で残っているものは、確かに言った・言わないの保険にはなるが、
必ずしも正確な状況を語っているものではない、
ということが、本書から伺えた。(145ページ「テープ起こしと速記」)
確かにテープ等の媒体に頼ることが、その時の「記録しよう」という
モチベーションの低下を招くことはありそうな気がする。
むしろ、メモをとることで、記録者の記憶の連繋(リンケージ)に
束ねていたほうがいいのかもしれない。
但し、個人差のあるこの手段では、その事実の「編集」に
個人の思想が反映される惧れもある。
歴史を「正しく」見る、というのは、本当に難しいことかもしれない。
今回の本は、官僚や政治家等の為政者による、その政策過程・舞台裏のような
意味合いが強いが、勿論「聞き取り」という手法は、
「声なき声」を拾うことにも大きな意味を持つ。
オーラル・ヒストリーは、今後、ますます重要な分野であることは間違いない。