花鳥風月記

流れる水に文字を書く

愚短想(201) どこに蛙、どこへ猿

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先日、職場の前に蛙が通過した。
よくわからない表現かもしれないが、まとまった雨が降った夜、
おそらく日本の古来種とは別のような、20センチはあろうかと思える大型の蛙だった。
外来種の場合、ちょっと不安だったので、ビニールを手に被せてつかんでみる。
持ってみると以外に重かった。

軒先を探るようにのっしのっしと歩く。
ぴょんぴょん跳ねる、というイメージではなかった。
この近辺(高田馬場)は、ネコも多いので、やがては捕まってしまうかも、とも思った。
以前、居酒屋で蛙の足のフライを食べたが、鳥のささ身のようだった。

確かに、何年か前に、蛙が車に轢かれていたこともあった。
結構な大きさだったから、その末裔かもしれない。
都会でありながらも、いきものはいる。

今日の夕方の情報番組を賑わしたのは、猿の捕獲劇だった。
大勢の報道陣が、閉じ込められた家屋の前に集まる。
大事件さながらのようだった。

ニュースによると、板橋区で発見されてから、都心を横断し、台東区まで行く。
建物を飛び移り、電線を器用につたって歩く様子が映っていた。
体格もかなり大きく、野生のものと目されている。

ま、つまりは板橋区に住んでるわけではないから、
板橋区に入る前は、(つまりは埼玉県内)では
気付かれなかったということだろう。
監視社会の一端が見えるようで、ちょっと恐い。

蛙にしても、猿にしても、別に人間の住む場所だから、という遠慮はなかろう。
勿論、生存して行く上での「野性」はあろうかと思う。
しかし、なにがしがの「結界」があるわけでもない。
「結界」はきっと、人の心の中にあろう。

人間の「結界」で最も印象的なのは、ディズニーランドだった。
あまり行かない場所でありながら、印象的だったのは、
シンデレラ城(だったと思う)の池。
草一本、魚一匹も泳がない、そして苔もない透明な池。
おとぎの城は意外にも不気味に思えた。