花鳥風月記

流れる水に文字を書く

ANPO

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渋谷のUPLINKにて。
60年安保をアーティストがどう表現していたかを追うドキュメンタリー。
監督は、映画の字幕・翻訳の仕事を主にしていた。リンダ・ホークランド。
アーティストのインタビューを中心に、その作品を見つめて行く。

次代背景としては、敗戦後、15年という生々しさの中から生まれた「熱」であったこと。
パンフレット裏面に大書され、この映画のキャッチフレーズになっている
「僕は戦争が嫌だ、あんな馬鹿なことを絶対にしたくない」ということが、
現代に生きる若者とは対比になるのではないか。

日本全土(だろう)が、「このままではいけない」と集まり、デモをする。
その群集をみて、時代のうねりを誰もが感じたかもしれない。
その熱は、アートにも表現され、戦争で受けた苦しみの表現は勿論のこと、
社会風刺・批評という視点は鮮やかであった。

しかし、安保条約が自動的に更新されるによって、その熱が冷め、
嫌悪感のような空気に変わっていく。
不思議なことに、それを流したニュースの言葉も、
今では信じられないくらい辛辣な言葉が継がれていた。

これをみると、現代は「退歩」してるなあ、というか
息苦しさがあるなあ、としみじみ思う。
しかし、その息苦しさも抱えながら懊悩しなければならないのか。

印象的だったのは、沖縄のカメラマン石川真生の作品で、
若い米兵が、背中に祖母の刺青を入れた写真の話で、(うろおぼえだが)
「その若者(ヤンキー)が嫌いな訳ではない。乱暴をはたらく米兵が嫌いで、
沖縄にいる米軍が嫌いで、それを見ている日本がもっと嫌い」ということを言っていた。
ここには、レンズの奥にある「あたたかい眼差し」が
いつも涙で曇っているのだなあ、と感じた。

今のアーティストをめぐる状況というのが、反動なのか、端境期なのか。
ジャンルによっても違うのかもしれない。
しかし、アーティストが現代史も含め、歴史を知り、表現すべき主体であることは
言うまでもない。

この映画でも、武満徹の「死んだ男の残したものは」がアレンジされ、流れていた。

余談だが、上映を待つ間の音楽が気になって、尋ねたら、
ポーランドのピアニストのアルバムらしい。
また時間をかけて探ってみよう。