愚短想(120) 勇気あるまなざし
「誰かがやらなければならない」
そんな状況の中、一体誰が手を挙げるものなのだろうか。
たとえその意味が理解できても、羞恥心や躊躇いがあったとしても…。
お茶の水駅のホームにあった、「鼻から内視鏡」という看板を見たとき、
様々な思いが去来した。
この人は、モデルとしての本分が全(まっと)うできたのだろうか。
鼻から内視鏡を入れる様は、
痛々しい感じもするし、
間の抜けた感じもする。
しかし、何かを見据えたような揺ぎ無い視線に、
その余計な詮索を退けるような強さを感じた。
また妙に艶のある感じもしなくはない。
あの視線は、指示されたのか・自らそうしたのか。
想いは尽きない。
きっと、本人は恥ずかしいという思いもあるかもしれない。
しかし、街中で、きっとそのホームで本人が佇んでいても
誰も気づかないだろう。
羞恥心と無関心というのは、案外近い存在なのかもしれない。
看板自体は青みがかっているので、
掲出されて日は経っているのかもしれない。
きっと見る度に「勇気あるまなざし」を
考えずにはいられなくなるのではないかと思う。
そんな状況の中、一体誰が手を挙げるものなのだろうか。
たとえその意味が理解できても、羞恥心や躊躇いがあったとしても…。
お茶の水駅のホームにあった、「鼻から内視鏡」という看板を見たとき、
様々な思いが去来した。
この人は、モデルとしての本分が全(まっと)うできたのだろうか。
鼻から内視鏡を入れる様は、
痛々しい感じもするし、
間の抜けた感じもする。
しかし、何かを見据えたような揺ぎ無い視線に、
その余計な詮索を退けるような強さを感じた。
また妙に艶のある感じもしなくはない。
あの視線は、指示されたのか・自らそうしたのか。
想いは尽きない。
きっと、本人は恥ずかしいという思いもあるかもしれない。
しかし、街中で、きっとそのホームで本人が佇んでいても
誰も気づかないだろう。
羞恥心と無関心というのは、案外近い存在なのかもしれない。
看板自体は青みがかっているので、
掲出されて日は経っているのかもしれない。
きっと見る度に「勇気あるまなざし」を
考えずにはいられなくなるのではないかと思う。